点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

脱線

2007年09月20日
脱線
なだ いなだ(作家) 
2007年9月20日

電車の脱線はよくないが、授業で先生が脱線して、話が横道に逸れていくのは、悪くない。中学時代の楽しみの1つだった。それで、脱線させようと、さまざまな工夫をしたものだ。英語の先生の一人は、授業の途中で脱線して、森鴎外の高瀬舟の話を始めた。中学1年の時だった。

「なんだ、森鴎外も読んでいないのか。なに、高瀬舟も知らない。読んだものは?だれもいない。ほんとうにだれもいないのか」

「いません」

その先生は国語の先生ではなかった。英語の先生だった。だが、その1時間は、英語の教科書を閉じて、鴎外の
「高瀬舟」のあらすじを、先生は熱っぽく語ってくれた。それでも安楽死を英語でなんというか、ぐらいは話したかもしれない。英語で習ったことは忘れたが、
高瀬舟のことは今でも覚えている。

次の時間のときも、ぼくたちは脱線させようと、授業の始まる前に、「先生の好きな作家は?」とか、質問した。

「その手には乗らんぞ。今日は、みっちり勉強だぞ。なんだ、下調べしてこないので、脱線させるつもりか」

先生も見抜いているのだった。それに、この先生は、突然怒り出すことがあって、怖い先生だった。奥さんと喧嘩したんじゃないか、と訳知り顔で解説するものがいた。

脱線してくれると、進みが送れ、中間テストの範囲が狭まる。それだけ、試験のための復習が少なくてすむ。ま、あまり動機は純粋ではなかったが、うまく脱線させることができたときは「やったー」と授業が終わったあとで喜び合ったものだ。

あの時、高瀬舟の話を聞いたので、医学部に進んだとき、「安楽死について知っているもの」と、いわれたとき
に、真っ先に手を挙げることができた。脱線のおかげであった。教育というのは、想定外のことが起こることを考えなければいけない。ゆとり教育というのは、
ゆとりをあげますよ、という形で与えられるものではない。脱線する余裕があれば、いいのだ。あれば、授業外の話ができ、そして先生と生徒の間の、人間的な
触れあいも生まれる。ゆとり教育の議論を聞いていると、議論そのものにゆとりが感じられない。そこが問題だ。

 

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