点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

棘のような1つの仮説

2016年09月01日
棘のような1つの仮説
 
 本田由紀(東京大学大学院教授)  2016年9月1日

周知のように、7月26日の未明に、神奈川県相模原市の障がい者施設で19人が殺害され、26人が重軽傷を負う、凄惨な事件が起こった。容疑者の経歴や発言などが報道される中で、容疑者が重い障がいを持つ方々の人権も生命も全否定してかまわないといった残酷な考え方をもっていたことが明らかになりつつある。本稿を書いている8月初めの時点ではまだ報道は断片的であり、容疑者がなぜ、いかにしてそのような考え方を持つにいたったかは詳細に解明されてはいない。

そのような段階でもすでに、この事件に関する多数の論評がマスメディアやインターネットに現れている。何人かの識者は、この事件が明らかなヘイトクライムであって、到底許しがたいことを指摘しており、私もそれに強く同意する。事件の背景に関しても、容疑者の交友関係やSNS、障がい者施設での労働条件、薬物使用、過去に与党の政治家が同趣旨の発言をしていたことからの影響など、議論は多岐にわたっている。

その中で、私自身の思考の中に冷たく刺さって抜けない棘のような1つの仮説がある。この点鐘でそれを書けば読者の反発を招くかもしれないことを覚悟のうえで、その仮説をあえて示してみたい。

私が気になっているのは、報道の情報が正しければ、容疑者の父親は小学校教員であり、容疑者自身も大学は教育学部で教育実習も経験していたということである。数年前から両親は容疑者と別居していた。また、容疑者は大学卒業後に教員にはならず、民間企業を経て事件のあった施設で勤務していた。すなわち、容疑者は家庭環境や大学教育に関してもともと「教育」の世界ときわめて深い関わりをもっており、その後その世界を離れて障がい者に接していた。

障がい者は生きていても幸せではない、本人にとっても社会にとっても存在しない方がよい、という独善的な容疑者の発想は、もしかしたら「教育」の世界に由来するのではないか、ということが私の仮説である。「学力」や「人間力」が高いことに至上の価値が置かれている「教育」の世界に、容疑者はある時期まで浸り、しかし浸りきれずに出ざるをえなかった。その屈折した経歴が、自分が追求しきれなかった「教育」の世界の価値観を、歪んだ形で障がい者に投影する結果を生んだのではないか。

むろん、教育学部出身で教職以外の仕事に就く人々は多数いる中で、容疑者が突出して異常な考えをもち、かつ行動に移した点で、個人的な要因は否定しがたい。しかし、容疑者の考え方を希釈したような残酷さが、「教育」の世界に立ち込めてはいないかということを、特に教員の方々には考えてみていただきたい。

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