点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

「見て見ぬふり」を超えて

2008年03月31日
「見て見ぬふり」を超えて
本田 由紀(東京大学大学院准教授) 
2008年3月31日

先日、「働くこと」について若者が語り合っている座談会の記録を読んで(「ポスト世代ですが、何か?」『論座』3月号)、その参加者のひとりの口から出たいくつかの言葉に、胸が塞がれる思いがした。それらの発言をした若者は、新規学卒就職が回復した2007年
に威信の高い大学を卒業して広告会社に入社した男性である。

まず私の目を引いたのは、いわゆるワーキング・プアであったり働けなかったりする若者たちに対して、彼が、
「見て見ぬふり」「知らぬが仏」という気持ちをもっていると述べたことである。「そういう人たちがいる、だから何?って感じですかね」と。まあ、彼が正直な人間であることだけは確かだろう。そして、このように感じている若者が、彼だけでなくたくさん存在するのも確かだ。しかし、それならばいっそう、他者の
置かれている苦しい状況への想像力も共感力も欠いた若者を、大量に育てあげてしまっていることについて、我々年長者は厳しい自戒を要する。

だが、私が胸塞がれる感を抱いたのは、この男性に「見て見ぬふり」をされている人々の現在と将来の苦境という観点からだけではない。彼自身の将来についても、きわめて危うい面があると感じたからだ。この男性が、立場の違う他者に対して「見て見ぬふり」をしてい
られるのは、「やっぱり自分の半径10メートル以内ぐらいの人にどう見られるかというのが、常に自分のモチベーションになっている」からである。彼は、経
歴や境遇において同質性の高い、狭い範囲のコミュニティの中で、自分が認められることに依りすがって生きている。信念や、人生の目標などはないのだそう
だ。しかし私が危惧するのは、そういう狭いコミュニティにおける人間関係というものは、いつ反転して悪意や排斥となって現れるやもしれないということだ。
もしそうなった時、彼は、何に希望を求めて生きていくことができるのだろう。

あるいはまた、彼は「9時半に出社して10時に退社」する生活を送っており、それは「絶妙のバランス」で、
不満はないのだそうだ。入社1年目でこのような長時間労働に従事しているならば、今後責任が重くなった時にどのような生活が待っているか、彼は考えたこと
があるのだろうか。

他者に「見て見ぬふり」をしつつ自分の現状に満足している彼が、ひとたび耐えきれないような状況に陥ったと
き、今度は「見て見ぬふり」をされる側となり、誰にも助けを求められず自らを否定するしかなくなることを私は憂う。そして、他者のつらさと自分の(いつか
遭遇するかもしれない)つらさを通底したものと感じ、互いに手を差し出すことができる人間を育ててゆく教育と社会の必要性を切に思う。

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