点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

なぜだろう

2008年08月29日
なぜだろう
なだ いなだ(作家) 
2008年8月29日

家を出て、無事に家に戻れるとは限らない。通り魔事件が起きて、テレビ局からマイクを突きつけられると、こ
れでは安心して外出もできないと訴える人が多い。その人が多いだけ、通り魔事件は、大事件として扱われるのだろう。だが、家を出て帰るまでに、ぼくたちを
待ち受けている死の機会は、通り魔事件の数十倍はある。交通事故死は1970年が最高で、16,000人以上も死んでいた。今でも年に6,000人。家を
出てそのまま帰らない人が、それだけいる。通り魔で死ぬ人は、年でまとめると、10人くらいではないか。死は、日常化すると、統計上の数字になってしま
う。

死んだ本人にとっては、交通事故で死のうが、通り魔に刺されて死のうが、死は死だ。どちらがより理不尽と思
うか、死者に聞くすべはないが、答えられたら、いうだろう。馬鹿な質問しなさんなと。通り魔事件はマスコミで大きく取り上げられる。そして怒りをぶつける
相手をクローズアップしてくれる。だが、この報道のおかげで、犯罪は模倣されるのだ。

犯人たちの言葉に耳を傾けろ。「殺すのは、だれでもよかった」。「事件を起こしたかった。大きなことをやっ
て、世の中を騒がせたかった」。こうした犯罪者は、死刑になりたがっていることが多い。「死刑にしてもらいたかった。大きなことをやれば、死刑にしてくれ
るだろうと思った」。マスコミはこういう事件が起きないように報道するのだと理屈をつけるが、犯人たちは大きく報道してくれることを期待して、事件を起こ
す。マスコミは、この矛盾した原因と結果をどう考える。小論文の格好のテーマだろう。

よく子どもにもっと死について教えろという人があるが、その時は、どうして包丁で刺されると大騒ぎし、理不
尽だといい、自動車事故にあっても、それより少ししか騒がず、遠いアフガンで、空から降ってきた高性能爆弾で、婚礼に集まった家族親類が何十人単位で殺さ
れても、報道すらしないのは何故かを教えてほしい。日本で、それを理不尽と呼ぶ人もいない。それは何故なのか。人は人を憎むことができるが、もので殺され
ると、そのものの向こうにある人が見えないからだ。

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