点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

to doの前にto be

2016年10月01日
to doの前にto be
 
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2016年10月1日

トルストイは二七歳の日記に「私はすべての人に知られ愛されたいという欲望を感じた」と書いたそうだ。それは半端でなかった。やがて大文豪となり、なおかつ最後まで社会改革の試みに挑戦し続けた。「トルストイの作品は生涯にわたって書き続けられた日記であり自身の告白だった」と誰かが論評したが、ちょっと考えてみればものを書くことの大方の意味は、自分を知ってほしいから書く、愛されたいために自分を赤裸々に表現するといえるのではあるまいか。

思い出す。半世紀前、わたしは機械設計製図工のヒヨコだった。製図机に向かって機械部品の図面を引きつつ、飽きてくると、製図の反古の裏に時々に思い浮かぶことを書き連ねた。それは誰かに読んでもらう目的ではなかった。相手はいなかった。日記的断片であり告白であった。徒弟時代真っただ中であるが、すべての人に知られ愛されたいという無意識の意識があったに違いない。

小説家は嘘を書く。嘘を通して(自身が伝えたい)真実を訴える。読者が小説を読むのは、作り話が好きなのではなく、小説家が訴える真実に共感するのであろう。自分自身を表現することは、他者に対するプロポーズのさまざまな形である。人交わりすることは無限に続く(お互いがもつ)真実の交換作業だと思う。自分をあけすけに表現するのは憚れるし、それをぶつけられた相手もいささかならず戸惑う、という思い込み(社会通念)が、他者に知られ愛されたいという、お互いの率直な心根の邪魔をしているに違いない。

過日、わたしは一人一時間・一〇〇人のインタビューを試みた。質問を十数項目用意していたけれど、最初の質問で最後まで話が続いた人が少なくなかった。インタビューと銘打ったが、狙いは皆さまのモノローグにあった。ご自分をひたすら語っていただく。語りが尽きそうになったら次の質問で新たな話題を引き出すという極めて単純な方法だった。一時間で終わらなかった方々が多かった。「どんなお仕事ですか?」という質問だけで時間が過ぎた。

古典を読んでいると、とっくに知っているはずなのだけれど、妙に新鮮に心打つ文章に出会うのである。おそらく、飾りなく真実を表現しているものが多いからであろう。コミュニケーションの理屈一つを考えてみても、時代が下るほど技術的専門領域に入って簡単なことを複雑にしてしまいかねない。技術は大事である。しかし、Howの前にWhyやWhatをもっと大事にしたい。to doの前にto beをこそ掲げねばならないと思う。

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