点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

「わたし」が歴史を作らねば

奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)
2017年01月01日

中野好夫さんの『チャップリン自伝』は文句なしの名訳だと思う。チャップリンは7歳か8歳のとき「歴史は不正と暴力の記録であり、また王殺しや、逆に妻も兄弟も甥たちも殺してしまう王たちの連続であり……」と気づく。

わたしは恥ずかしながら、歴史が権力(者)のそれだと気づいたのは働くようになってからである。子ども時代、武人は好まなかったが偉人伝をたくさん読んだ。歴史が好きであるにもかかわらず、しっくり身につかなかったのは、あ、これか、と思った。

チャップリンの勉強の視点は、歴史に限らず、自分の役に立たせるために学ぶのであった。わたしは勉強が嫌いではなかったし、よい成績をとれば働いて育ててくれる母親が喜ぶから、勉強しなさいと言われなくても勉強した。しかし、なんのために勉強するのか?と考えたことが一度もなかった。

本気で古典を読み始めたのは中年を過ぎてからで、読んだものが網の目のようにつながると感じるようになったのはそんなに遠い昔ではない。

小さな事件が歴史の流れを変えるというが、事件そのものが歴史を変えるのではなく、社会の根底に歴史を変えるような「世論」が溜まっているのだろう。「歴史が人を作る」のではなく、まさしく「人が歴史を作って」いる。

その人とは、巨人・偉人ではなく、非力な「わたし」ではないか。「わたし」一人ひとりの考えが、なにかのきっかけで表面に噴出して、歴史を作る。かくして「歴史は変わるべくして変わる」のであろう。

ヘイトスピーチという犯罪が世界中で蔓延している。差別は順調な世の中では出番がない。社会の根底にさまざまな不満が蓄積した場合、不満を抱えた人たちの一つは権力に立ち向かう。もう一つは、自分より非力な人々に向けられる。前者は世の中を変える可能性をもつが、後者は問題の長期固定化と、さらなる社会の後退を作り出すしかない。

明治維新も、敗戦後も、いわば外からの力で再出発したのである。表面の制度が変わっても、社会を構成する「わたし」一人ひとりの意識は、放置すれば前も後ろも変わっていない。1954年、桑原武夫さんが翻訳『社会契約論』のまえがきに、「ルソーの精神は日本で十分に根をはったとはいえない。戦後、主権在民という言葉はいっとき流行したが、その真意は、覚えぬさきに忘れかけている」と書いておられた。「たし」が歴史を作らねばならない。

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