現地報告(岩手)

各支部書記長からの聞き取り

・ 被災当日から3日から1週間ほどの、連絡と緊急のケアが一番必要なときに通信が絶たれていて、必要な動きがとれなかったことが痛かった。教育委員会も状況は同じだろう。

・避難所の物資にかかわる現在のニーズについて。大きい避難所は1,000人規模の場所もあり、米・野菜を始めとする食材が常時不足している。消費が大量であるためで、米は一日1.5トン消費する。みそ・しょうゆ・マヨネーズなどの調味料も不足。たとえばマヨネーズ1、2本届いたところで、この人数だからとても足りない。
また、高齢者の下着類も不足しがちだ。水道が復旧していないことで、洗濯ができないためである。

・学校の物資にかかわる現在のニーズについて。
 気仙地区では教材を扱う業者も軒並み流された。機能しているのは地区に一社だけで、「受注はするが納品がいつになるかわからない。」とのこと。教材が一部そろっていない中での授業開始になるだろう。ランドセルは、ボランティアの手によって届きつつある。

【教職員組合のがんばり】

気仙支部書記長は自らも被災し、津波から最初の一週間は避難所で暮らしたが、次の週からは支部教育会館に寝泊りしながら支部業務を再開させた。
県本部から届く支援物資をさばく。
物が入ってきても、仕分けして必要なところに必要なものを届ける工程が間に入らないと、一方では余り一方では足りないという状況ができてしまうため、これは重要な作業である。
特に、「学校に必要なもの」という視点で見ることができるのは教職員組合ならではであり、それらが組合員の手によって学校へ行き渡るルートを作っているので、現場に大変喜ばれている。

下閉伊支部にもたくさんの物資が運び込まれており、自宅の床下浸水の対応や新年度業務に追われながら、支部書記長がさばく算段をしてくれている。

被災して家を失った組合員、異動で4月からこの地区で住む場所を探している組合員...いまや、アパート探しは重要なニーズだ。
支部役員が個人的なつてで探したり、気仙支部では一時的に支部教育会館に宿泊できるようにするなど〈訪問した時点ですでに予約が入っており、県本部から布団が運び込まれていた〉、やはり組合は頼られていた。
下閉伊支部では、不動産業者も津波被害で機能していない中、支部で探す努力が続けられている。

【課題】

新年度の学校スタートまでには、まだ課題が山積している。
学校が避難所となっていたところも、別の場所に避難所が移る動きはある(田老・岩泉・田野畑)。
ただ、すべてではなく、学校と避難所の共存も課題となってくるだろう。
学校の再開には校舎の電気・水道などライフラインの復旧が条件となることはもとよりだが、さらに現地では以下のような懸念も生じている。

ある小学校の校庭脇には、状況から推測するとまだ遺体が埋まっている可能性がある。
校舎自体は無事だったので、その場所での再開となるだろう。
また、体育館が遺体安置所になっている、または、なっていた学校も相当数に上る。
児童生徒、教職員の精神的な負担が心配される。

また、仮設住宅の設置場所に校庭が選ばれている学校もある。
三陸海岸は平地が少なく、海岸以外は山間部という地形になっているのが特徴で、仮設住宅に適した平地が学校の校庭であるという地区は少なくない。
もちろん設置は最優先されるべきだが、体育の授業等に影響が出てしまうことは避けられない状況だ。

事務職員の人事異動が、一律に3月当初の震災前の内示とほぼ変更なく行われた。
学校によっては、児童生徒にかかわるものも含め、多数の書類が流失したり不明になったりしている。
そんな状況の中にもかかわらず、一律に内示通りの異動だったため、その学校に4月から新しい事務職員が配置された例がいくつかある。
異動対象となる事務職員個人や本人の家庭にも、大きな負担が生じている。
事務職員Aさんは、津波で家とともに次男と義理の母を失った。
そのAさんも内示どおり内陸への移動。
Aさんは自分の実家に身を寄せたが、実母が病気のため家事と長男の養育を一切背負いながら、内陸へ一時間の道のりを自家用車で通うこととなった。
このほかにもまだあるであろう、一人ひとりのさまざまな状況を丁寧に聞き取り、適切な対処をすることも必要になってくる。