現地報告(岩手)

釜石支部聞き取り

・現在、被災によっていままでの住居に住めなくなった教職員が、非常に困っている。住居を探しているが難しい。その中で新年度が始まっている。

被災を免れた不動産業者は稼動しているが、物件が足りず「200人待ち」と言われた人もいる。

個人解決をしている人の中には、民宿の一部屋を間借りして住んでいる人もいるが、割高感を抱いている。また、片道2時間かけて実家から自家用車で通おうという人も出ている。

4月になって通常勤務となり、物件を探す時間がないという声が多く寄せられている。

今後仮設住宅ができていくだろうが、自治体職員や教職員以外がまず優先されていくのではないか。

このような状況のなかで、多くの教職員が疲弊してきているのを感じる。

教職員として必要な物資は、ペンなどの事務用品、保健室で使う救急箱等。

これらは本来地教委に要求すべきものだが、教委も1人2人でまわしている状況で、対応できていない。

被災地区の状況

釜石市鵜住居地区

この地区にあったのは釜石市立鵜住居小学校と釜石東中学校。ふたつとも校舎は波にのまれたが、児童生徒は全員無事であった。

釜石東中学校の職員は、低い場所にある防災センターが避難所になっていることに、以前から疑問を感じていた。今回の被災当時、そこへ逃げずに高台へ登るという選択をした。そして、中学生が小学生の手を引きながら高い方へ高い方へと登ったのである。この様子は、NHKの報道などでもとりあげられている。

ここでの教職員の選択や、児童生徒避難時の行動は、今後大きな意味をもってくるだろう。丁寧な記録作成の必要を強く感じた。

陸前高田市街地

これまで視察した被災地は「瓦礫の山」という状況がほとんどだったが、ここは鉄筋の建物がかろうじて残り、たくさんあったはずの木造建築物はほとんど波に持っていかれたという光景であった。ただ平らな広い土地が広がっている。道路わきの大きな石が、水に運ばれてきたのだとはにわかに信じがたい。

この街とそこに住む人々が、現在・中期・長期とそれぞれどういう支援を必要としているのか。たくさん集まってくる義捐金や公的資金をどう使っていくのか。その知恵はより広範に集約され、すばやく適切に判断されていかなければならない。そのためのシステムが要る。

陸前高田市立第一中学校避難所からの聞き取り

運営に当たっているYさんは退職教員で、自身の家は無事であったが、第一中学校校長に請われてこの避難所の運営を引き受けたとのこと。Yさんとともに運営にあたっているスタッフの方々は被災者で、皆何らかの親しい人を今回失っている。その方々が果たした役割は大きいと、Yさんは言う。

当初約1,250人、現在800人台となったこの避難所での今のニーズは、プライバシー。仕切りひとつとっても、重要な要素である。人が減ってきたら区分けをしなおして...というようにしていく予定だそうだ。

4月20日から学校がスタートする予定。学校と避難所の同居のあり方をどうしていくかが、今後の課題。

避難所の大人たちには、「中学校の子どもたちが、大人たちがどう活動しているかみていますよ、いい自治会をつくりませんか」と呼びかけたい、とYさん。中学生にとっては逆に大人から見られるわけで、大人と子どもが学びあっていくようなイメージで作っていきたい、と語る。今は学校再開にあわせ、スタッフ組織の再編成を行っているところ。

学校近くの地元業者が自前で風呂を建設し、避難所の被災者に無償で提供している。そんな周りの活動にも支えられている。

Yさんが考えている当面の課題。
今後徐々に校庭に仮設住宅ができていく。入居者は抽選で決められていくようだ。避難所となっている体育館は今の生活が続き、そこに隣接している校庭の仮設住宅には、電気・水道等が完備されている。この状況が心理的に与える影響が怖い。この対策もまた必要だろう。


※今回思ったこと
沿岸部の教員人事が凍結。事務職員は内示どおり。そのどちらの場合でも、生身の人間として、また、家庭での大切な一人として、とてもやりきれない状況に置かれてしまった人も少なくない。すぐ対応できることは、まだあるのではないか。
たとえば、住居もままならないままに新年度に突入してしまう教職員の苦労は計り知れない。被災地はともかく、少し内陸に入った市町村には宿泊施設がいくつかあり、民家でも空き部屋を提供できる家もあろう。いままでつくってきたさまざまなネットワークの中で、安価で宿泊や間借りができるところがみつかれば、いくらかでも解消できるかもしれない。