連合救援ボランティア記録

 東北の言葉で捨てることをなげるという。被災した方の背中となげられたものの数々は言葉よりも雄弁に物語る。大槌地区桜木町の川縁の土手には様々なものたちがなげられている。泥にまみれたピアノ・学習机・・・

 Mおばあちゃん お元気ですか?「一切合切家具はなげてくれ。それから庭の泥も全部なげてくれ。」「でも、私はここにいなくていいかい。つらくてみてられない。」そう言っておばあちゃんは私たちに背を向けられた。
 おじいちゃんの遺影と仏壇。物置にはおむつ。おじいちゃんの介護していたのかもしれない、庭に面した部屋のベッドはおじいちゃんのものだったのだろうか。きっとここから庭をみていたんだろうか。私たちはただ黙って泥を掻き出し、なげつづける。水を含んだ畳と布団は重い。Mおばあちゃんの家で捨てられなかったもの。おじいちゃんの遺影と仏壇。庭から泥を掻き出したら黄水仙が息吹き返した。

 S家のおとうさんは、最初から最後まで私たちに背を向けて、電気ドリルや電気ノコに油を注している。しっかり者のお母さんが「物置きのものはガラスケースを除いて全部なげください」といわれる。聞けばお父さんは手術されたばかり、地震のときは腰が抜けてお父さんは腰が抜けて立てなかったという。物置の中には魚釣りの竿や木工の道具がぎっしり詰まっている。お父さんの趣味の道具だったに違いない。どんどんなげる。「これもだめだ」お父さんは木工道具をごろっとなげる。庭の泥を掻き出したら、松の盆栽が出てきた。「よく流れなかったですねえ」「ああ本当に良かった。」お父さんが始めて笑われる。ほっとする。この庭でも泥にも負けず黄水仙が花を咲かせている。

 T家のお父さんの依頼は家の中の泥だしと宝物を見つけること。お父さんの宝物は長年溜めていたレコードとビデオと本、ビデオは全滅。別の場所へ避難していたため、1ヶ月間放置された家の中はカビがひどく、泥も悪臭を放っている。水を含んで本がふやけたため、本棚から抜けない。レコードは洗ってまた聞くと言われる。たくさんの家財の間からお父さんのもう一つの宝物、日本酒の瓶が現れる。お父さんの顔がほころぶ。タンスの中身は全滅と言ってよく、お母さんの成人式や入学式の着物もなげられる。お母さんは寂しそうである。テレビも、ファンヒーターもなげられる。

 ファミリーショップYのお母さんは町中を走り回って、避難をしているお得意さんの家の掃除を引き受けている。お父さんは50台で脳梗塞を患い体が不自由だ。津波が来たとき裏山に逃げた。お父さんを懸命に引っ張り上げた。「そうしたらね、逃げ遅れた近所の人が見えたのよ。水が胸のあたりまでできていてね。足で溝に落ちないように探りながら助けに言ったのよ。でもねえ、返事ができても、もう震える力もない人はダメだったねえ。みなで体をさすったんだけどダメだった。お店にあるものは何でも出したのよ。借金までして、お店を再開するのもどうしようかと思ったんだけど、もう1回がんばることにしたのよ。町を元気にしなくちゃねえ。逃げているお得意さんの家の掃除も引き受けてるのよ。」そうお母さんはこともなげに話される。お店の軽トラをボランティアに貸してくださったり、面倒を見てくださる。「ありがとうねえ。きれいになった桜木町遊びに来てね。」「きっと行きます。」

 東和のベースキャンプを出発して約2時間、被災地に入る。何度はいっても私たちは息を呑み、黙り込まざるを得ない。圧倒的な自然の猛威に心が折れてしまうのも分かる。しかし、春とともに泥にも負けず、桜が拳が、黄水仙が咲き始めたように、この町の人たちは希望と笑顔を取り戻している。そのことにボランティアに行った私たちは勇気と元気をいただいて帰ってきた。私たちはたくさんの思い出も喜びも悲しみもなげてきたが、希望も拾ってきた。Mおばあちゃん今度お会いするときはきっと笑っておられるそんな気がする。

 ボランティアの仲間と後方支援してくださったベースキャンプの方々のことも忘れることができない。陸前高田で倉庫から町に散乱した腐敗した魚を手で掻き取るように集めた基幹労連の皆さん、桜木町でともに汗し、歯を食いしばり働いた自治労・日教組チームの皆さん、わたしたちのために食事を用意をしてくださった東和町の食堂の皆さん、駆けつけてくださった退職者の皆さん、岩手の教職員の皆さん、私たちを運んでくださった運転手さん、遠野まごころネットのみなさん、桜木町サテライトセンターの皆さん。人とのつながりをこんなにも実感できた1週間。組合に入っていて良かった。この確かなものを仲間や子どもたちに伝えたい。本当にありがとうございました。