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【識者の視点⑦前編】TALIS 2024が問う、日本の教育の「物理的限界」――教育の質の向上のための「条件整備」を
田中 真秀(たなか まほ) 大阪教育大学 大学院連合教職実践研究科 准教授
滋賀大学経済学部卒業、京都教育大学大学院教育学研究科修士課程修了。筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程単位修得満期退学。専門は教育行財政学と学校経営学。特に教職員の給与制度や働き方、義務教育諸学校における「教育条件整備」の法的・財政的構造を主要な研究テーマとしている。 主な共著に『教員の長時間勤務問題をどうする?―研究者からの提案』(世織書房)などがある。
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先日配信したOECD国際教員指導環境調査(TALIS 2024)の解説記事では、日本の教育現場の課題が改めて浮き彫りになりました。現場の献身的な努力は、すでに限界に達しています。なぜ状況は好転しないのか。それは個人の資質の問題ではなく、予算や人員配置といった「教育条件」の構造的な欠陥にあるのではないでしょうか。
本稿では、教育行財政学を専門とする大阪教育大学の田中真秀准教授にインタビュー。データが示す危機の背景にある法制度の課題と、今まさに必要な定数改善や教育予算増額の正当性について、専門的見地から語っていただきました。
TALIS 2024の結果をどう見るか――「時短」の背景と業務の特異性
今回のTALIS 2024の結果において、日本の教員の勤務時間は依然としてOECD加盟国の中で最長でした。前回調査と比べて勤務時間が多少減っていますが、私はこれを肯定的とも否定的とも言えない立場で見ています。 もちろん、勤務時間が減少したこと自体は、間違いなく現場の教職員の苦労や工夫、努力によってなされた成果であり、その点には心から敬意を表します。

一方で、この調査結果を見る上で前提としなければならないのは、他国と日本の教員では「業務内容」が大きく異なるという点です。日本では、授業や学習指導だけでなく、部活動や生徒指導、地域との連携、事務業務など、教員が担うべき責任や業務の範囲が非常に広く設定されてきた歴史的背景があります。 昨今、部活動の地域移行などで教員の職の範囲の見直しは進んでいますが、依然として「これも教員の仕事」と見なされる文化や状況は根強く残っています。

このように、他国と比較して勤務時間が長いのは、個人の働き方の問題で片付けられるものではありません。そもそも教員一人ひとりに課せられている業務量そのものの精選(整理・削減)が必要であることを、データは示唆していると考えます。 個人の努力で短縮できる時間はもう限界に来ています。「業務の総量」と「それを担う人員」のバランスという構造的な問題に着目しなければ、これ以上の改善は難しいと考えます。
教育条件整備の現状――「回っている」のではなく「回している」
では、構造的な視点に立った時、教職員が子どもたちと向き合うために必要な「時間的・人的・物的資源」は足りているのでしょうか。 この問いに対して、私は明確に「足りていない」と考えています。
外からは学校がなんとか「回っている」ように見えるかもしれません。しかし、それは資源が足りているから回っているのではなく、教職員の献身的な努力で工夫し、無理をして「回している」状態に過ぎないのです。人的な面で見れば、教員一人ひとりが抱えるタスクが多すぎます。子どもたちの成長を促すためには、本来必要な業務を分担できるだけの人員配置が必要です。
また、物的な面も同様です。TALIS 2024でも様々な課題が指摘されましたが、例えば新しい授業を行うための教材・教具に関しても、すべてが公費で十分に賄われているわけではありません。教職員の持ち出し(私費)や、手作りの工夫で補われている部分も多くあります。 「現場の工夫」は素晴らしいことですが、それに依存しきっている現状は、国や自治体による条件整備として「足りている」とは到底言えない状況です。
制度と実態の「ズレ」――自治体間格差と教職員の財務リテラシー
日本の教育行政は地方分権が前提ですが、国が法律や制度で定める「理念」と、実際の教育現場の「実態」の間には大きなズレが生じています。特に懸念されるのが「自治体間格差」です。
例えば、ICT活用のための支援員配置一つとっても、教育委員会や自治体の財政力によって配置状況は全く異なります。また、学校におりてくる予算の使い勝手も自治体によって千差万別です。ある自治体では「節間流用(費目の移動)」が認められていて、節電して浮いた光熱水費を教材費に回せたりしますが、別の自治体ではそれができず「やりくり」をしてもその分が学校で自由に活用できるということではありません。学校長が決済できる金額(専決権)も自治体ごとに異なります。
また、課題は、「何か必要なものがあれば(公費ではなく)学級費で買えばいい」と安易に考えてしまうこともありますが、それが本当に保護者負担でいいのか、本来は公費で要求すべきものではないのか、という意識を持つことも重要です。それは、子どもたちの学習環境を守ることにつながります。生まれた場所や育つ場所によって受けられる教育条件に格差が生まれてしまうことは、義務教育を保障するという観点から見て是正すべき大きな課題です。
「少子化=予算削減」論への反論――教育の質の向上
教育予算の拡充を訴える際、必ず壁となるのが「財源論」です。特に財務省などからは、「子どもの数が減るのだから、教育予算や教員数も減らしていいだろう」という議論が出ます。一般の方の中にも、単純な比例計算としてこれを受け入れてしまう方がいるかもしれません。
しかし、この議論には強い違和感を覚えます。なぜなら、「現在の35人~40人学級という基準が適正である(これ以上改善しなくてよい)」という前提に立っているからです。そもそも、その前提自体を見直す必要があります。
私が過去に行った調査でも、確かに力のあるベテラン教員であれば、小学生に対して40人学級でも一斉指導自体は可能かもしれません。しかし、一人ひとりの課題などへの対応や、個別のケアに割ける時間は、児童生徒数が増えれば物理的に減少します。特に小学校低学年などでは、複数担任制や少人数学級の方が、きめ細やかな対応が可能であることは明らかです。教育活動によっては子どもの数が多い方が良い/少人数の方が良いということを、学校ごとに目の前の子どもたちの様子や状況に合わせて柔軟に対応できるだけの教職員が確保できることによって、子どもたちへの教育の保障ができるのではないでしょうか。
さらに、現代の学校には、支援の必要がある子どもや、日本語指導が必要な子どもなど、多様なニーズを持つ子どもたちがいます。こうした子どもたちを含め、誰一人取り残さない教育を実現するためには、これまで以上に教職員数を改善することが不可欠です。
「子どもの数が減ったから予算を減らす」という論理は、教育の質を「現状維持」でよしとする消極的な考え方です。そうではなく、「数が減っているからこそ、一人当たりにかける予算や人員を増やし、教育の質を抜本的に高めるチャンスだ」という方向へ議論を転換すべきです。これは単なるコストではなく、将来の社会を支える人材への「投資」でもあります。
(後編へ続く)
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後編では、教育の質を維持する上で避けて通れない「深刻化する教員採用試験の倍率の低下」や、「給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)」の抜本的見直しなどについて、その構造的な課題を掘り下げます。 また、「部活動の地域移行」や「災害時の避難所」にもなりえる学校施設の在り方など、教職員だけでなく保護者や地域住民にも密接に関わるテーマについて、教育財政と学校経営の視点から解説。持続可能な学校を作るために、今、社会全体で共有すべき「広い意味での条件整備」とは何か、さらに詳しく語っていただきます。
