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2026/01/01 教育関連記事

能登半島地震から2年、阪神・淡路大震災から31年。いまこそ防災教育をアップデートしよう!

中野元太(京都大学防災研究所・巨大災害研究センター・准教授)

専門は、リスクコミュニケーション、防災教育、地域防災、国際支援。日本国内外で地域防災や防災教育の実践的研究を行う。立命館大学歴史都市防災研究所・客員研究員、防災教育学会理事、日本自然災害学会編集幹事。著書(分担執筆)に「天変地異のオープンサイエンス : みんなでつくる科学のカタチ (新曜社)」、「災害復興学事典 (朝倉書店)」。

 

能登半島地震から2年

2024年1月1日に最大震度7を観測した能登半島地震から2年が経過しました。同地域では2020年12月頃から活発な群発地震活動が起こり、2022年6月19日には最大震度6弱の地震、2023年5月5日には最大震度6強の地震も起こりました。2024年1月1日の地震の約9か月後には、奥能登豪雨が襲いました。幾重にも被災した奥能登地域では、いまも、地域コミュニティの集団移転や生活再建に多くの困難や不安を抱きながらも、復興へのとりくみが続いています。

 

この一連の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、少しでも早く安心できる日常が戻ることを心よりお祈りしたいと思います。

 

復興へとむかいつつも、災害が終わったわけではありません。災害関連死と認定された方も増え続けています。12月4日現在の石川県の発表によれば、死者678人のうち災害関連死は450人です。地方では、高齢化によって、ケアが必要な方は増えているにも関わらず、ケアを担う人が圧倒的に不足しています。今回の地震直後の避難所でも、外部から支援に来るボランティアが少なかったので、避難者同士での懸命なケアが続いていましたが、ケアが必要な人が多すぎて、ケアを担う人たちからは大きすぎる負担に悲鳴が上がっていました。

 

道路が寸断され、人命救助が優先されるフェーズでは、道路混雑を避けるためにもボランティアは控えよとの要請は意味があったのでしょう。しかし、長期にわたって発信された要請は、2年が経過して、負の側面の方が大きくなったように思います。端的に言えば、人々の交流の機会が限られました。ボランティアは支援を目的に現地に入りますが、そこでの地元の人々との交流でその地域の長期的な応援団になってくれます。知り合いができることで何度もその地域を訪問するようになります。最初は支援者と被災者だったのだけれども、気の知れた友人になっていく。そうした関係が、長期的な復興とそこに住む人々の心を支えていくのは、これまでの災害からも明らかです。いま能登半島の宿泊施設や飲食店を復興事業にかかわる多くの建設関係の方々が利用されています。しかし、復興事業が一段落すると、彼らはいなくなってしまいます。そのことが奥能登の新たな課題にならないように、これからどのように交流人口を増やしていけるのか、とりくみが続いているところです。

 

 

阪神・淡路大震災から31年

災害関連死もボランティアも、阪神・淡路大震災を契機に注目されました。1995年1月17日に発生した震災から31年を迎えます。震災30年を機に日本赤十字社が行った調査では、1995年が「ボランティア元年」と呼ばれていることを75%の人は知らないと回答しています。阪神・淡路大震災では、6,434人の方が亡くなりましたが、そのうち921人が災害関連死です。31年目を迎えようとする神戸でも、改めて震災を問い直すというとりくみが続いています。

 

震災から31年という時間は体験を三分割にしてしまいます。震災当時すでにおとなだった人は、おとなとしての鮮明な記憶が31年経過した今も残っています。当時30歳の人は、いまは61歳です。震災当時、生まれて間もなかったり子どもだったりした世代は、子どもとしての震災の記憶を持っています。いまでは社会の中堅として活躍している世代です。震災のとき小学校2年生で母親を亡くした方は、いまはご自身が母親となり、子どもが小学校2年生になりました。震災のとき3歳だった子は、血だらけの母親の顔を鮮明に覚えています。この世代は、震災を体験しながらも「あの時は小さかったから地震のことは覚えていないよね」という言葉に傷ついた経験も持っています。また、震災当日に生まれて、本来祝われるはずの自分の誕生日が、多くの人にとっての追悼の日であることに葛藤を抱えながらも、その体験を受け入れて生きている若者もいます。そして、震災当時生まれていなかった世代もいまの神戸には多くいるわけです。だからと言って震災と無関係ではなく、神戸で生活をしていればどこかで震災とつながります。31年という時間は、こうした異なる世代が一つのまちに暮らすという時間なのです。

 

31年前とは社会も大きく変わった中で、震災の教訓の解釈も変化します。震災を体験した人が語り継ぐだけではなく、震災を体験していない世代が震災を体験していない世代に語り継ぐ活動も行われています。世代を超えて災害体験を伝えていく方法の一つが、防災教育です。ここでは、地震に注目して、とりくみやすい防災教育のアイデアを紹介しておきましょう。また、防災教育を行う上で参考になるウェブサイトを、最後に紹介します。

 

教科とあわせる

学校ではカリキュラムの制約もあって自由に防災教育を行うことが難しいことも多々あります。既存の教科のなかで防災教育を行ってみるのはどうでしょうか。

 

国語であれば、阪神・淡路大震災や能登半島地震の手記・体験記・新聞記事・詩を読んで、体験した人の心情について考えることができます。体験を書籍化したものもたくさん出版されています。

 

英語の授業でも同じです。英語で書かれた阪神・淡路大震災や能登半島地震のニュースやレポートはインターネット上でたくさん見つかります。都市で起こった阪神・淡路大震災と過疎化が進む能登半島で起こった地震は社会背景も大きく異なる災害で、その違いについて理解を深め、今の自分の街ではどのようなことが起こりうるかを考えるだけでも、立派な防災教育になります。

 

災害を経験すると子どもたちは様々なストレスを感じることになります。「心のケア」と言うと急にハードルが上がりますが、重要なのは、災害時に、どのように安全で安心できる環境を確保できるかを考えることです。どのような音楽が人々にリラックス効果を与えるのかを音楽の教員はよくご存知のはずです。

 

あるいは家庭科では阪神・淡路大震災や能登半島地震の避難所の様子を観察して、寒い冬や暑い夏にどのように食料を管理して、感染症対策を行って、誰もが過ごしやすい環境にするのはどうしたらよいかを考えられます。

 

最近の災害では車中避難をする人も増えていますが、エコノミークラス症候群にも注意が必要です。体育の時間にエコノミークラス症候群を予防する運動を学んでおくこともできます。まずは各教科でできる防災教育を行って、学校全体でとりくみたい場合は、カリキュラムマネジメントを通して、教科横断的な設計にすることもできます。理科で自然災害を学ぶころに、家庭科で避難所を勉強すれば、子どもたちも体系的に防災を学ぶことができます。

 

訓練を充実させる

学校で行っている避難訓練も、考え出すととても奥が深いとりくみです。学校での避難訓練はマンネリ化しているという指摘はその通りだと思いますが、私はマンネリ化するほど行われているという点は評価に値すると思っています。そのうえで、マンネリ化は弊害もあります。ある学校では学校内にヘルメットを設置しています。避難訓練時には必ずヘルメットをかぶって避難をします。その学校で、抜き打ち避難訓練をしたところ、安全な校庭から校舎内にヘルメットを取りに行った子どもがいました。マンネリ化すると、自分たちで考える機会を失って、言われたことしかできない事態にも陥ります。

 

学校校舎の耐震化は全国的に進み、学校の非構造部材(天井など)の安全性も高まってきています。こうしたことを背景に、学校における地震時の対応方法をアップデートするためのさまざまな議論が行われています。

 

たとえば、机の下にもぐるのはかえって危険ではないか、特定のポーズを教えると臨機応変に対応できないのではないか、などです。これらの議論はそれぞれ理にかなってはいるのですが、一つの対応方法さえ身に着ければ、全ての状況に対応できるという万能薬はありません。正解は常に状況によって異なるということです。正しい一つの解はなくて、その状況に応じた「成解」を見つけるしかありません。教職員も、子どもたちも、自分たちで考える力が求められます。

 

教育委員会や学校、そして現場の教職員にとっては決まった対応指針がほしいところだと思います。残念ながら学校の耐震性や非構造部材の安全性、学年、児童・生徒数、安全な避難場所までの距離、想定される地震や津波によって考え方は異なります。地震の難しいところは、地震の揺れの大きさを事前に知って対応に生かせないということです。揺れを感じて、その地震が最大震度7に至るのか、最大震度4で収まるのかは、揺れないとわかりません。緊急地震速報が鳴動してすぐに避難を開始するにしても、一般的には、震源に近いところでは震度は大きくなり、緊急地震速報の猶予時間(速報がなってから揺れ始めるまでの時間)は小さくなります。震源から遠いところでは震度は小さくなり、緊急地震速報の猶予時間は大きくなります。つまり、強く揺れるときほど、余裕はないということです。ちなみに、阪神・淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震などで震度7を観測していますが、地震の起こり方の違いや地盤の影響で、同じ震度7でも揺れ方や揺れの長さは全く違います。

 

 

これらを総合して考えると、やはり、普段過ごしている教室で、教職員や児童・生徒たちで何が「成解」になるのかを考えてみるしかありません。避難訓練の前後に10分間の時間をとって、各教室で児童・生徒らと教職員で話し合う時間をつくるとよいと思います。避難訓練前の10分で、教室内の安全確認をして、落ちてきたり倒れてきたりしそうなものがあれば、改善策を考えます。最近、教室にはキャスター付のモニターが置かれているのをよくみかけます。大丈夫でしょうか?大きな地震を想定して歩くのも難しいとき、教室のどこが安全かを議論することができます。そして避難訓練で実践してみて、訓練後の10分間で、本当にその対応でよかったのかを見直します。休み時間、体育の時間、音楽の時間、理科実験の時間など、様々な状況でもやってみるとよいと思います。こうした議論を年に2回行うだけでも、マンネリ化する訓練を脱却できると思います。ちなみに、状況に応じて避難を考える訓練は、小学校1年生でもできることを防災教育先進校が証明しています。幅広い年代でできる方法だと思います。

 

 

 

専門性を生かす

最後に学校の特色や専門性を生かす防災教育にも様々な事例があります。高校に限った話にはなりますが、農業、工業、商業、看護、家庭等の専門学科があります。たとえば農業土木について学ぶ高校生らが、公園を防災公園に改修するプロジェクトをおこないました。公園のデザインから実際の施工までを担い、地域コミュニティの拠点づくりを進めました。商業を学ぶ高校生らが、防災食を開発した例もあります。企業と連携して、商品の企画、材料の選定、販売までを高校生らも担うことで、商業高校の特色ある防災教育になっています。家庭の専門学科であれば、災害時の食について学習している事例もあります。看護であれば、特に災害関連死を減らすための看護やケアのあり方について学ぶことも考えられます。

 

能登半島地震から2年を迎えるこのタイミングで、防災教育の一歩を、ぜひ踏み出してみてください。被災された方々からは、被災地のことが忘れられてしまっていることに不安を感じているとの声も聞こえてきます。防災教育を通して、もう一度、被災地に思いを向けるということも、被災地の応援につながっていきます。

 

▼防災教育を実践する際に参考していただけるサイトには下記があります。

文部科学省×学校安全:https://anzenkyouiku.mext.go.jp/

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