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2026/04/07 教育関連記事

当たり前に揺さぶりを– 音と言葉で多様性の種を蒔く(後編)

片岡亮太(かたおかりょうた)和太鼓奏者・パーカッショニスト・社会福祉士

1984年静岡県生まれ。11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。2007年上智大学文学部社会福祉学科を首席で卒業。2011年、ダスキン愛の輪基金の研修生として1年間ニューヨークへ渡り、コロンビア大学大学院にて障害学を学ぶ。2025年大阪・関西万博への出演や、JICA調査団員としてドミニカ共和国で演奏・指導を行うなど、国内外で幅広く活動を展開。現在は筑波大学附属視覚特別支援学校音楽科非常勤講師も務める。


 

私は、演奏とともに、「多様性」や「インクルージョン」などをテーマに講演を行っています。今回は、その中でよくお話ししていることの一部を紹介させてください。

 

「豚汁」から考える多様性

 

唐突ですが、今みなさんの前においしい豚汁があるとします。そこにはどんな具が入っていますか?お味噌は辛いですか?甘いですか?では、今思い浮かべた「おいしい豚汁」は、はたして別の方がイメージしているものと同じでしょうか?

 

きっと、似ていながらも、地域性や家庭ごとの味を反映して、それぞれちょっとずつ違うはずです。ちなみに私にとってのおいしい豚汁に欠かせないのは「キムチ」のトッピングなのですが、残念ながら、共感してくれる人とはなかなか出会えません。

 

私はこれこそが「多様性」だと考えています。「多様性」が強調されるようになって、ずいぶん長い年月が経ちました。日常的に使われているため、言葉自体は幅広い世代で共有されています。けれど、その概念を明確に説明できる人は案外少なく、みんな何となく知っていながらも、輪郭がいまいちはっきりしていない印象です。

 

そこで思いついたのが先述の豚汁の話です。豚汁一つでさえ、人それぞれの一杯を想起するほどに私たちは違います。ならば、理想の社会や過ごしやすい空間、生活に欠かせないものや必要なサポートだって一人ひとり異なっていて当然ではないでしょうか。それは、性別や国籍、障害の有無や種別など、大まかな「カテゴリー」が近い人の間であっても言えることです。だからこそ「多様性」の視点を持ち、対話を通して互いを知り、尊重し合うことが重要なのではないかと考えています。

 

「すごい」の奥にあるもの

 

「僕の演奏をすごいと思ってくれた人は拍手!」

 

私は学校での舞台で時折このように呼びかけます。ありがたいことに、帰ってくるのは、会場中の子どもたちが力強く手をたたく音です。私はリアクションを耳で把握するためにこのような方法を選んでいます。

 

続いて、「じゃあ、目が見えないのにすごいと思ってくれた人はもう一度拍手!」と尋ねると、やはり大きな反応が返ってきます。そこで最後にこう聞きます。

 

「なんで『目が見えないのにすごい』と思ったんだろう?」

 

途端に会場は静まり返ります。みなさんも考えてみてください。「目が見えないのにすごい」とは、私への賞賛としてよく伝えていただく言葉の一つです。ですが、視覚特別支援学校(盲学校)を除けば、子どもたちや教職員にとって、全盲の視覚障害者とはおそらく縁遠い存在でしょう。授業の中で話題になったり、街で見かけたりすることはあっても、全盲の人の身体感覚や生活の実態を熟知している人は皆無に等しいかもしれません。

 

 

にもかかわらず、「プロはすごい」でも、「太鼓ってすごい」でもなく、「目が見えないのにすごい」と思うのはなぜでしょうか。それはきっと、多くの人の中に「目が見えなかったらこんなことはできない」という意識が、ごく自然に、そして疑問を持たれることなく根付いているからではないでしょうか?

 

障害や性別、年齢、国籍など、その人が持つ一部の属性のみに注目し、「〇〇の人は××だ」と無意識のうちに考えてしまう視点、それはまさに「偏見」です。

 

「目が見えない人は耳が良いですよね!」「障害があるのに明るいですね!」など、一見すると好意的な言葉であっても、その発言に至った前提を丁寧に見つめていくと、奥に潜んだ「偏見の種」が見つかるかもしれません。

 

「すごい」をめぐるやり取りが、そのことについて考えるきっかけになればと思っています。私がこのようなことを伝えるのは、社会を批判したり糾弾したりしたいからではなく、自分の中の偏見の種に気づくことこそが、「多様性」や「インクルージョン」への第一歩だと思うからです。そう教えてくれたのは、一人の友人でした。

 

T君が教えてくれたこと

 

失明を機に小学5年で転校した地元の盲学校には、視覚だけでなく知的にも障害のある、いわゆる「重度重複障害」の子どもたちが多数在籍していました。同級生だったT君もその一人です。彼はオウム返しで言葉を話したり、自分の要求を口にしたりすることはできても、会話のキャッチボールは難しい状態でした。けれど、転校して1年ほどが経ったある日、私はこんなやり取りを耳にします。

 

「T君おはよう」

「K先生おはようございます」

 

驚きました。なぜなら私はそれまでT君に名前を呼んでもらったことがなかったからです。私がT君におはようと声をかけた場合、帰ってくるのは必ず、「T君おはよう」というオウム返しの言葉だけでした。なのにK先生とはごく自然な挨拶のやり取りができている!?

 

そこで改めて二人のやり取りをよく聞いてみると、やはり最初はK先生との間でも「T君おはよう」のオウム返しは行われている様子。けれど、そのあとでK先生は、「違うでしょ」と言ってから、名字の頭の文字を口にしていました。その声に後押しされ、T君は「K先生おはようございます」と言えているようでした。私が耳にしていたのは、そのやり取りを何度か繰り返し練習した結果だったのだと気づきました。

 

そこで翌朝、いつものように「T君おはよう」のオウム返しがあったところで、私はすかさず、「違うでしょ。か……」と言ってみました。でも、直後に聞こえてきたのは、「違うでしょ。か……」と繰り返すT君の声でした。

 

なぜ私の名前はこんなにも頑なに呼んでもらえないのだろう?悩むうちに見つけたものは、T君を見下し、差別している「私」でした。

 

同じくらいの体格、同じような声の高さだけど、同じようなコミュニケーションができない彼を、私は心の底では「気持ち悪い」と感じ、友だちどころか、同じ人間とさえ思っていなかった。失明からまだ間もなかった当時、私自身が、折にふれてむけられる「目が見えないなんてかわいそうに」という悪意のない同情の言葉や、興味本位の視線にたびたび憤っていたのに、それとは比べものにならないほどひどい気持ちをT君に抱いている……。

 

自分を恥じました。そんな気持ちでいる同級生なんて、名前を呼ばれなくて当然ではないか。せめてこれからは心を入れ替えて彼と関わろう。

 

「片岡君おはよう」とT君が初めて言ってくれたのは、そう反省した次の日のことです。

 

T君には全てわかっていたのでしょう。彼の感覚の鋭さに私は衝撃を受けました。そしてその日からはなるべく傍にいて、掃除の際の雑巾絞りや廊下の拭き掃除を一緒にするなど、時間を共に過ごしては、手伝えることをやらせてもらいました。最初は、ずっとバカにしていたことへの謝罪の気持ちがそうさせていたのかもしれません。けれど、いつの間にか、私は彼のそばにいることが好きになっていました。

 

T君が同じように話したり、行動したりできていないことなんて、全く気にしていませんでした。それどころか、会話はしていなくとも、何となくお互いに信頼し合えている実感さえありました。出会いから1年以上をかけて、私はやっとT君と「友だち」になることができたのだと思います。

 

どこかで見下していたT君に、私自身の偏見や差別を見透かされ、そして許してもらえた経験。これが私の原点です。

 

出会いは多様性の種

 

15年前、ニューヨークで生活していた時のことです。公共のトイレの入り口に手を伸ばすと、そこには当たり前のように、点字や立体文字で女性用か男性用かを示す「触れる表記」がありました。日本でそのようなトイレはほとんどなく、入ってから女性用だと気づくこともあるので、私はこの仕組みにとても感動しました。

 

 

ある時、そのことを知人に伝えたところ、彼から返ってきたのは「それは『アンフェア(不公平)』だ」という言葉でした。多くの人にとって「当たり前」にできることが、障害のある人をはじめ、少数の人には当たり前ではない、そういう瞬間、私たちはつい「不便」とか「不自由」という表現を選びがちです。ですが、本当は「不公平」と呼ぶべきことなのだとあの時気づかされました。これも私にとって忘れられない大切な学びです。

 

私は、いろいろな人や未知の経験との出会いの中で、「当たり前」を何度も揺さぶられてきました。そのたびに知らなかった自分と出会い、悩んだり迷ったりしてきたからこそ、今の私がいます。

 

これからも、表現の道を歩き続ける中で、さまざまな出会いを経験していくでしょう。そこで得られたものを通して、社会の「当たり前」を揺さぶり、インパクトのある「出会い」を提供することが、私にとっての多様性の種まきの形です。

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