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2026/07/14 教育関連記事

面白い教師になる一策【島田雅彦さんから教職員へのエール】

島田雅彦さん(しまだ・まさひこ、小説家・法政大学国際文化学部教授)

1961年東京生まれ。1984年東京外国語大学ロシア語学科卒。在学中の1983年『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。主な作品に『夢使い』、『彼岸先生』(泉鏡花賞)、『自由死刑』、『退廃姉妹』(伊藤整文学賞)、『悪貨』、『虚人の星』(毎日出版文化賞)、『君が異端だった頃』(読売文学賞)、『パンとサーカス』ほか多数。芥川賞選考委員。

 

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昨今は大学教育の専門化が進んだこともあり、学生にレポートや論文を書かせる時、教員は「あまりテーマを広げすぎるな」と指導する。私は逆に「広げるだけ広げてしまえ」と指導する。世界は例外だらけ、矛盾だらけで、単純な要素の組み合わせだけでは説明がつかないことの方が多い。世界の複雑さに対する耐性を鍛える意味でも、テーマを広げ、脇道にそれていくことを恐れないようにした方がいい。

 

あるテーマで論文やレポートを書く際も、ショートカットで結論に向かうより、一見無関係に見えることも同時に考えることが必要なのだ。専門知を深く掘り下げるだけでなく、他方向に拡散させていくのも、知性の一つのあり方であるし、そちらの方が、人間の神経構造には合っている。幸い、脳はマルチタスクに向いている。執筆に行き詰まったら、散歩に出かけ、野山や街の観察を行い、海辺や森で瞑想し、インスピレーションを得るようなことは偉大な先人たちもやってきたことだ。脱線せよ、寄り道や回り道をせよ。その過程で身につく知識は無駄ではない。それが教養の蓄積となるのだ。

 

また、学生はある本を読む際に、その概要を先に知りたがり、間違った読みをすることを恐れる傾向がある。それでついググったり、AIに相談したりするのだが、私は常に「誤読を恐れるな」、「むしろ積極的に誤読せよ」と焚きつける。受験勉強を通じ、新入生は現代文の呪縛みたいなものに囚われているので、そこから解放するよう仕向けると、乗ってくる学生が少なからず出てくる。ただ、創造的誤読に到達するには、それなりの説得力や大胆な読替が必要になるので、ハードルは高い。教師としては対話を通じて、独自の読み方に裏付けを与える助力をしてやる必要がある。

 

教育における成果主義、同調圧力は教師側からの命令に近いので、自由な知性の抑圧につながる。実際、自分も若い頃に抑圧を受けた経験があるから、それに対する反発が強いというのが正直なところだ。

 

大学では「就業力」を重視する傾向があるが、資格取得やルール遵守などは就業力とはあまり関係がなく、要は教養に尽きる。組織に入ると、同世代の友人だけでなく、幅広い世代や国籍の人々とのコミュニケーションに対応し得る教養こそが必要になる。また時代によって教養も文化のバックボーンも違うので、ある程度歴史を踏まえなければならない。歴史認識を持つということは、現在の状況を考えるために、歴史上の転換点について一定の理解を持つことを意味する。歴史とは生きられた経験の蓄積であり、過ちのアーカイブでもある。過去の反復、因果が未来を作るので、歴史を軽んじる者は未来を潰すことに手を貸してしまうのである

 

これまで歴史や文学、哲学は非効率的で、曖昧であるがゆえ、非実用的と見做されてきたが、今後は逆転する可能性がある。統計と確率に依って立つ経済学や社会学といった学問ジャンルはむしろAIに取って代わられやすく、代替不可能な人文的知性の復活こそが急務になっているのである。

 

教育現場へのAIの浸透は加速しており、今やレポートも論文もAIに代筆させる時代で、現場ではこれにどう対処するかが課題となっている。何よりも問題なのは、学生や教師がAI化してしまうことで、AIに依存する者が有利になるような環境は改めなければならない。

 

実際、教師と学生が互いにAIが出してくる回答を確かめ合っているような状態に陥っており、それを一部では二〇二五年問題という。ここ三十年はデジタル文明に適応することばかりに専心してきた感があるが、すでに教育現場でもその弊害としての知性の劣化、思考能力の低下が指摘され、北欧などではアナログ回帰を進め、教室からデジタル機器を排除し、手書き文化に回帰している。AIが要約し、解説した情報を利用するだけでも、社会生活は送れるが、それが思考の節約につながり、結果的に知性劣化の一因となっている。知性の回復には原点への回帰が求められる。

 

人間はAIとは違い、無意識を持ち、欲望や感情を持ち、夢を見る。言語は本来、それらの領域から立ち上がってくるものであり、AIとは根本的に異なる発語メカニズムを持っているが、案外、その原初的言語モデルはあまり使われることがない。

 

詩を書くとか、夢日記をつけるとか、うわ言を呟くといった言語表現の原点に時々は立ち返るべきだ。ホメロスやソフォクレスの時代はもちろん、シェークスピアもドストエフスキーも左右一対の脳と無意識を駆使して、人類の遺産を残したのであって、現代人もその顰みに倣えばいいのである。

 

それこそがAIの奴隷にならず、AIに対抗しうる唯一の方法と私は考える。文科省なんて信じるな、自分を信じよといいたい。

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