ニュース

2022年「5・15沖縄平和行進」

2022/05/16

写真

写真

写真

写真

 1972年5月15日に沖縄は日本に返還されました。しかし、沖縄は国土面積の0.6%に全国の米軍専用施設の約70%が集中し、米軍機の騒音や米軍人らの事件や事故、環境汚染などが課題になっていることや、本土との経済格差をはじめ沖縄への構造的差別はいまだ解決されていません。さらに辺野古新基地、石垣島や宮古島では自衛隊ミサイル基地等が建設されようとしています。
  
 日教組は復帰50年という節目の年に3年ぶりに開催された「沖縄平和行進」に55人が参加しました。参加者は、沖縄の現状、課題等を学ぶとともに「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンのもと、さらにとりくみをすすめていく必要性を強く感じた3日間となりました。

 平和行進の前段として「結団式・学習会」を行いました。学習会では、沖縄県教職員組合元委員長・前顧問の山本隆司さんから「命どぅ宝・ガマ」「ペリー黒船以来の不平等条約・治外法権」の模擬授業を行っていただきました。どちらも戦争の事実を伝えるだけではなく、差別と不平等という人権課題へと発展させ命の大切さを訴える内容で、平和教育を行っていく大切なポイントを数多く学びました。
 
 平和行進はあいにくの雨となりましたが、「歩くことで知る沖縄があります」という平和行進のキャッチコピーのとおり、「極東最大の空軍基地」と言われる嘉手納米空軍基地の広さを肌で感じ、コザ騒動のあった場所を実際に歩き、当時に思いを馳せました。参加者からは「周りを見たり、シュプレヒコールをしたりしているうちにあっという間にゴールしました。」という感想がありました。
 
 行進後、チビチリガマ、シムクガマ等のフィールドワークに参加しました。チビチリガマでは「集団自決」により約140人中83人が亡くなりました。一方シムクガマでは当時「米軍が来たら戦って死ぬこと」を教えられてきた人々に対し、投降を呼びかけ、約1000人全員が生き残りました。本来は辛くて思い出したくない出来事について、ガマの歴史を忘れてはいけないという思いから証言してくださった方たちの思いに応えるためにも私たちは平和教育をすすめていかなければならないと強く心に刻みました。
 
 最終日、5月15日は「復帰50周年第45回平和とくらしを守る県民大会」に参加しました。県内外から約1000人が参加し、主催者あいさつでは「50年前の平和で豊かな沖縄を願った県民の思いを受け継ぎ、平和への願いと豊かな暮らしを求めて声を上げ続けなければならない」と述べられ、玉城沖縄県知事は「平和の思いを全国にも広げていただきたい」とのメッセージが読み上げられました。
 
 日本教職員組合は、今後も沖縄県民とともに在日米軍基地の縮小・撤去、日米地位協定の抜本的改定を求め、辺野古新基地建設に反対するとりくみを平和フォーラムらとともにすすめます。

pagetop