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熊本地震 教育復興ボランティア③
熊本地震とりくみニュース⑥
被災地支援・教育復興ボランティア活動 第2ターム参加者報告
2016年7月25日
6月2日から、教育復興、避難所における子どもへの対応といった目的のために、独自にボランティア活動にとりくんでいます。6月6日から同10日の第2タームには、全国から17人が参加しました。参加者の声をお伝えします。
※私の活動は、トイレや体育館フロア、玄関等の清掃、窓やカーテンの開閉による室温調整などあったが、時間の多くは、子どもたちと遊んで過ごすことであった。遊んでいる中で、熊本弁で「家が傾いてな、中に入れんと」「ブランコから降りるとな、地震と同じでフラフラするたい」など、その時の瞬間を思い出させる言葉を聞くことがあった。悲しい思いを表にはき出したり、嫌な感覚を遊びの中でもみほぐしたりすることで、少しでも乗り越えていってほしいと思うばかりであった。
できることは少なかったが、連日避難所に詰めている区役所の職員からは、「一人きりで大変だったが、二人だと安心できる」という言葉を聞き、少しは役に立ったかなという感覚をもらって帰宅することができた。
※子どもたちと遊んだ。ブランコ・シーソー・滑り台等校庭遊具。抱っこにおんぶ。元気に楽しく遊んだが、寂しさの裏返しかもと思ったり、避難所生活のストレス発散かもと思ったりした。避難所の方のために業務をこなすよりも、避難所の方と心のケアというより話す・コミュニケーションをとる方が重要だったかもしれない。
避難所にはいろいろな方が関わっている。夕食の手伝いに来てくれる民生委員の人たち。避難所の方のために服や歯磨き等衛生用品・水・冷蔵庫等を準備してくれたボランティアの方など。困った時はお互い様の精神かな?!組合の助け合いの考え方につながるのではないかと思った。
※初めは順調に復興しているように思えましたが、一人ひとりの抱えている現状は大変厳しいということが段々分かってきました。家に帰りたくても経済的に再建できない、どこから手を付けて良いか分からない、高齢で一人暮らしでどうしようもない、仕事を探しているが見つからない、等々。
益城町は更に凄まじい様子でした。中心街に倒壊した家々がたくさんあり、地震発生直後の様子は想像を絶するものだったと思いました。地区の小学校にもお邪魔しましたが、頑張っている若い教職員の様子を拝見して胸が熱くなりました。
帰りの空港までのタクシーを降りる時、運転手さんが「熊本のために有難うございます」と深いお辞儀で見送ってくださり、涙をこらえて帰って来ました。
※最大の任務は、市の職員の方にできる限りの休養を取ってもらうことでした。市の職員の方は日中通常業務をしたのちに避難所の実務責任者として夜勤をし、次の日そのまま出勤という生活を週2回ほどされていると聞きました。ニュースでは被災地の職員のケアが必要であるといことを聞いていましたが、実際目の当たりにして、本当に過酷な生活が続いているのだと感じました。住民の方々が大変な状況であることはもちろんですが、市の職員の方は「行政職員だから当たり前」と際限ない業務量になりがちです。避難所スタッフのケアということが、地震発生から約2カ月経った今だからこそ必要なものだと強く感じました。
今回同じタームで参加されていた方の中には、阪神淡路大震災や東日本大震災のときもボランティアをされた方もいて、改めて日本教職員組合のつながりを強く感じました。
※この避難所は自宅が近くにある方が多く、昼間は仕事に行ったり、自宅に戻り片付けをする人が多いので、数人程度の人しか避難所にはおられず、夜間は40人位の人が夕食や睡眠をとるため、避難所に戻って来られるという状況でした。日勤の仕事内容は、食事の準備と給仕(食事を渡した方の名簿のチェック)、体育館やトイレの清掃、入所者との対話でした。ある入所者の方の娘さんに私が似ていたことがきっかけとなり声を掛けられ、家族のお話を色々と聞かせてくださいました。地震の話は辛いかなと思い、あえて聞かないようにしました。
※被災者への気遣いを忘れぬよう、言葉にも気を付けなければなりませんでした。少し話を聞いてあげて喜んでいただいたように思いました。このような天災は自分たちにもいつ起こるか分からない事ですので、精一杯動き、喜んでいただける避難所でのボランティアに参加させていただき、勉強になりました。帰る頃になると、寂しそうに手を握って「又来てね」と言われました。
※いつも冷たいお弁当しか食べられない避難所のみなさんに、焼きたてのお好み焼きを食べてもらおうと、鉄板と食材を持参してお好み焼きを焼きました。熊本県教組と熊本高教組のみなさんが駆けつけて、サポートしてくださいました。準備から後片付けまで4時間、60食のお好み焼きを焼いて避難所のみなさんに振る舞いました。避難所のみなさんに「美味しかった~」「ありがとうございました」と声を掛けていただき、疲れも吹っ飛びました。
※体育館に40人弱の人が避難生活を送っておられました。始めは体育館全体を使っていましたが、学校側の要請で、行事をきっかけに半分になりました。学校を舞台にした避難所である限り、また行政の重点避難所でないことから、いずれは避難住民の移動がなされるものと考えられます。しかし、避難所が住民の自らの手によって開設され、物資の調達や行政との交渉を行ってきた経緯を考えると、住民の一方ならぬ思いを感じざるを得ません。夜勤の作業内容は、朝と夕の食事の準備と片付け、朝の掃除、カーテンの開閉などです。時には、子どもとの遊びがあったりします。物資の片付けや把握をしました。毛布やクッションなどの数の把握をし、きれいに積み直したり、移動させたりしました。日勤の人とは8時~8時半の間と19時~19時半の間で交替をし、ベースキャンプで休みます。寝られる時間は短いですが、温泉に入って疲れを癒やせました。