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東日本大震災・東電福島第一原発事故から7年 被災地からの報告①【宮城】

2018/03/05

写真 震災遺構に指定された 県南 山元町 中浜小学校 

写真 東松山市牛網地区 「津波の教え」石碑

東日本大震災から7年を迎えた宮城の現状

宮城県教職員組合執行委員長 川名 直子

今年もまた、3・11を迎えます。7年という月日が経過したとは信じられない思いですが、いまだにあの尋常ではない揺れの大きさと、津波被災地の状況を目にした時の衝撃は、鮮やかに思い出すことができます。震災のことを話し出すと止まらなくなる、という人が多い反面、もう思い出したくない、と苦しんでいる人もまだまだいるのが現状です。
教職員の中には、いまだに怖くて沿岸部にいけない、という人も少なくありません。宮城県教職員組合では、震災を風化させないために、そして震災の教訓を生かしていくためにも、何とか被災地に足を運んでもらいたいという思いで、各地に作られている慰霊碑や被災校等の遺構の簡易ガイドブックを作りました。これからも情報を加筆修正し毎年更新し、各分会や市民に届けていく予定です。
7年経過した宮城の現状について報告します。

<地域の状況>
沿岸部の復興の進捗状況は、地域によって様々です。地域を回ってみると、違いは一目瞭然です。
県の南部は、海岸沿いに巨大防潮堤が完成しており、並行して走る県道のかさ上げ工事も進んでいます。海岸線がまっすぐで防潮堤が作りやすいという地形の関係もあるようです。被災したJR常磐線の駅も、前の位置よりも内 陸に移動して建て替えられ、その周辺に住宅地や商店街が再建されています。復興公営住宅も完成し、仮設住宅はなくなりました。亘理町という町はイチゴの名産地ですが、大きなビニールハウスの団地ができ、目を引きます。
県の北部は、リアス式海岸のせいか、防潮堤の建設状況はまちまちです。駅や商店街再建を最優先するか病院再建が先か、などは地域によって違っています。石巻市や気仙沼市では、まだ仮設住宅も残っています。復興住宅も各地にできましたが、予想以上に人口流出があって計画を縮小した、入居対象者の範囲を広げた、などの地区もあります。また、県南部よりも、工事関係の大型機材がまだまだ多く、復興の遅れが目立ちます。
今課題になっているのは、復興公営住宅の家賃の値上げ、被災者医療費の補助の打ち切り、8000ベクレル以下の放射性汚染物の一斉焼却処分の計画などです。新たに、県の特区指定による漁業権の問題なども起きています。生業がいまだ成り立っていない方も多いという問題に加えて、時間の経過とともに課題が変わってきていて、現地の方の話を聞かないと、なかなか県全体の問題になっていかない現状も生まれています。

<学校の状況>
震災後、2017年4月までの間に、116校の小中学校が廃校になり、統合なども含め38校が新設されました。78校が減少したことになります。津波被災で使えなくなったり、再建を待つ間に転出児童が多くなり統合を余儀なくされたりした学校は、廃校の半分程度でした。津波被災地ではないのに、震災を口実に一気に統廃合をすすめようとする動きも見られます。震災で学校が地域の防災拠点としての役割を果たしていたことを考えると、国の基準はあっても、被災地復興の意味からも地域に学校を残すことは大事なのではないでしょうか。
また、学校の敷地内に仮設住宅が残っている学校が、2017年4月現在でまだ20校ほどもありました。子どもたちの運動能力の低下にも影響しているようです。今年の4月までには、仮設校舎を使っている学校や間借りをしている小中学校は、ようやく全てなくなります。

<子どもたちの現状>
宮城県は、2012年度に続いて、2016年度も不登校出現数がワースト1になってしまいました。県教育委員会は、被災との関係は分らない、としていますが、被災地や統廃合を実施した地区でのスクールバス運行が一因になっていることは間違いないと思われます。特に被災地では、朝のバスに乗り遅れてしまうと保護者の送迎は難しく、もう学校には行けなくなってしまうからです。もう一つの原因は、「教育の復興は学力向上が大事」という方針を県が打ち出したことです。県独自の学力テストも3年間実施しましたし、指導主事訪問も被災直後の2012年度ですら、普通通りに実施した自治体がほとんどだったのです。
もう一つ、子どもたちの状況で最近大きく問題だと言われ始めたことは、被災直後に乳幼児であった子どもたちの気になる様子についてです。本来であれば、静かな環境の中で手厚く保護されるはずの乳幼児の時期に、避難所や仮設住宅の中で生活しなければならなかったわけです。津波被災がなくても、尋常ではない震災の後、大人ですら生活もままならず、しばらく落ち着かない状況でした。そういう状況の中で生活するということは、子どもたちの育ちに影響を及ぼさないわけがありません。今、その影響を受けた子どもたちが小学校の低学年に在籍している訳ですが、「これまでになかったような、なんと表現したらいいか分からない落ち着きのなさがある」と教職員から報告されています。データには出てこないものの、間違いなく県内あちこちから起きた声でした。県内の私立大学の教授たちも3年前から被災地のアンケートをしていてその実態に気づき、学校現場で支援を実施するための「東日本大震災 こども・若者支援センター」を立ち上げました。県教委も、さすがにその実態への課題意識をもつに至ったようです。
宮城県教職員組合は、毎年この時期に「震災のつどい」を開いていますが、今年は「子どもたちの育ちと心のケア」と題して実施しました。今後、子どもたちが成人するまで心のケアを継続していく必要性を、国や県にも発信していく予定です。

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