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第18回日本教職員組合人権教育実践交流集会

2009/01/20

第18回日本教職員組合人権教育実践交流集会

2009年1月20日

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さまざまな人権の大切さをもとにした教育実践を日本教職員組合・組合員の皆さんで学びあう、第18回日本教職員組合人権教育実践交流集会が1月17、18日に群馬県高崎市で110人が参加して開かれました。

初日、高橋副委員長の主催者あいさつの後、竹平・日本教職員組合人権教育推進委員長が45年前のキング牧師の「I have a dream」の演説
「私には夢がある。
『すべての人間は平等である』というこの国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ」
「私には夢がある。私の4人の小さな子どもたちが肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。私には夢がある!」
を引用しながらさまざまな人々との「共生」の視点の大切さを訴えました。

松島・日本教職員組合教文局次長は基調報告で「子どもたちをとりまく環境は厳しく、子どもたちが自分らしく生きにくい状況となっているなか、日本教職員組合がこれまですすめてきた人権教育はますますその重要性を増しており、今こそ子どもたち一人ひとりを大切にする教育をすすめていきましょう」と提案しました。

記念講演 I として「部落に生(活)きる人たち」−私の履歴書−と題して『人権教育国連10年行動』たかさき研究会事務局長の平井豊さんがお話されました。

記念講演 II としては、昨年度の集会(香川)で大島青松園(ハンセン病療養所)にフィールドワークを行った継続的なとりくみとして「ハンセン病と人権」−偏見・差別の解消について−」と題して国立療養所栗生楽泉園(草津)自治会長の藤田三四郎さんにお話をいただきました。長年国の隔離政策に苦しんだことや法が廃止された今もまだ故郷に安心して一時帰省もできない実態が語られました。最後に、
「『一生青春・一生勉強』という言葉は、75年間、私とともに歩いていた旗印です。20歳の時にハンセン病を患いましたが、それ以来、現在まで患者運動や文化活動を精力的に継続してきました。私の人生は今でも青春の中にあり、輝く希望と夢を持ち続けていると自負しています。どうぞ皆さんも希望と夢を胸に抱いて旅立ってください。しかし希望とは裏腹に、沢山の不安と多くの障害に突き当たることもあるでしょう。そのときは、青春と若さで精一杯生きることによって、それらを乗り越え克服することができると思います。
 弛まぬ努力で人生をいつも前向きに生きる、これが『一生青春・一生勉強』といういことです。」
と語られました。

2日目「憲法‘47教育基本法と人権教育」「部落問題学習」「両性の自立と平等をめざす教育」「障害児の進路を保障する教育」の4つの分科会でリポート討議やワークショップが行われました。

第1分科会「憲法‘47教育基本法と人権教育」では北海道から「アイヌの学習を広め、実践する」、熊本からは「一人ひとりが安心してくらせる社会を目指して」としてハンセン病と向き合った実践が報告されました。

第2分科会「部落問題学習のとりくみ」では「定時制こそ私の学校」として大分の実践が、広島の特別支援学校からは「『溝の肝』をつくる」として劇のとりくみから自分に向き合うという実践が報告されました。

第3分科会「両性の自立と平等をめざす教育」では三重から「実践力を育む男女共生教育をめざして」として男の子のトイレについて学級全体で考えたとりくみが報告されました。また、ワークショップではロールプレイングゲームをしながらジェンダーについて考えるというワークショップも展開されました。

第4分科会「障害児の進路を保障する教育」では群馬のことばの指導教室からの実践、滋賀から「いっしょに いこか!」と称してリポート発表があり、それぞれ活発な交流が行われました。

午後は「人権のふるさとをめざして」と題してフィールドワークを行い、倉賀野の町並みを歩き、高崎の部落問題の歴史を学びました。参加者は、中仙道に面している家屋とそうでない家屋とのあまりの違いや、橋の向きに隠された差別の実態等に驚くとともに、あらゆる差別を解消するために、今こそ人権教育の充実が大切であることを実感しました。

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