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熊本地震とりくみニュース⑧ 被災地支援・教育復興ボランティア活動 第4ターム参加者報告

2016/09/06

熊本地震とりくみニュース⑧
被災地支援・教育復興ボランティア活動 第4ターム参加者報告

 2016年9月6日



6月2日から、教育復興、避難所における子どもへの対応といった目的のために、独自にボランティア活動にとりくんでいます。6月14日から同18日の第4タームには、全国から24人が参加しました。参加者の声をお伝えします。

※熊本市東区の秋津小学校に開設された避難所で日勤2人、夜勤2人が活動に参加しました。

市内でも東区は今回の地震で最も被害の大きかった益城町に近く、地下に断層も走っています。地質的にも昔は川だったために地盤が緩く、震度7の本震の縦揺れにより、地面が液状化してしまい、家屋の全壊、半壊が多い状況でした。避難所では、日勤担当は、昼食・夕食の準備と後片付けと居住空間とトイレの清掃、夜勤担当は、夜の出入り口の見張り(余震に備えるのと、深夜や早朝の出入りがあり施錠しないため、不審者が侵入したことがある)、朝食の準備片付け、ゴミ出しなどの手伝いをしました。避難所で生活している人は、全壊で家に戻れない人と、余震が怖くて避難している人に分けられますが、お年寄りと女性と子どもたちが多く、社会的に弱い人たちが寄り添って生活している印象を受けました。物資的にはある程度足りていますが、朝食はパンとスープ等、昼食はパンまたはおにぎり、夕食は弁当とインスタント味噌汁といった簡素な食事で、長期にわたって食することにより、栄養のバランスが偏ってしまうのではないかと感じました。

6月になってエアコンが設置されましたが(避難所によっては設置されてないところもある)、プライバシーは仕切られた段ボール1枚でかろうじて守られている状態で、厳しいものを感じました。そのような環境の中においても、子どもたちが元気に遊んでいる姿を見るとホッとしました。区民課の職員が交替制で担当しており、夜勤の方は、日常業務を勤務してからの業務ということもあり、大変疲れている様子でした。

この状況を解決するためには、避難所生活が解消され、一日も早く仮設住宅に入居できるようになることを強く望みます。仮設住宅の建設も進んではいるのですが、家屋の被害状況の調査が進まず、仮設に入居できるのはもう少しかかりそうです。一日も早く、生活のできる環境が整うことを願っています。

※私たちに与えられた仕事はただ「見守る」こと。しかし、その大切さを知るのに時間はかからなかった。

熊本市立長嶺小学校の体育館には20人程の避難生活をされている人がマットの上に布団を敷き、ご自分のスペースを確保しておられる。ほとんどが高齢者で、昼間は家の片付けに出られる方も多く、プールから聞こえる子どもたちの歓声がなければ静寂な空間にさえなる。震災直後は多くの被災者で歩く隙間もなかったという体育館は、今はネットで仕切られ、半分が避難者スペースであるが、そこも床が見えている部分が圧倒的に多い。

共有スペースに置かれた飲み物や紙コップ、お箸などを、お年寄りは「すみません」「いただいていいですか」と私たちに告げてから手をつける。そもそもそれらの物品は被災された方に支給されているのだから、こちらが了解する筋ではないのだが、私は「どうぞ!」と明るく返事をする。たぶん、それが一番いいのだと思う。なぜなら私は「見守り役」だから。「どうぞ!」と返事をすることで、「見守る」「見守られる」関係ができるのだと勝手に思う。またいつ地震が来るかもしれない不安の中で暮らす避難者にとって「誰かがいる」ということが大切であり、小さな会話によって関係性が生まれればなおいい。

ある女性はとつとつと話してくれた。「1回目の地震が来て真っ先にこの体育館に来たのが私だったの」「その後、2回目の揺れが来て、グラウンドに逃げたの。ドーンドーンってずうっと突き上げられて恐くて恐くて」「私は熊本空襲も経験しているけど、空襲は予告があるから耐えられた。地震は予告なしだから本当に恐い」「この先のことを考えると不安で不安で仕方ないけど命があっただけよかったと思っているの。なるようになれって」。震災の真実はガレキを写した報道写真ではなくここにあるのだと思い知らさせる。

「地震が全部もっていっちゃった。私の大事なものを」。あなたに食べさせてあげたかったと残念がり、豆腐の味噌漬けのレシピを教えてくれた。メモする私に「そうねえ。お味噌には塩も入れた方がしっかりと味がつくかもしれないわね。お豆腐は木綿豆腐の固いのを使ってね…」生き生きと語る。もしかして、その時だけでも悲しい思い出を忘れることができたなら。私が「見守る」以上の仕事ができたほんの一瞬だったかもしれない。

※若葉小学校の体育館には、昼間は20人程度、夜は40人ぐらいの人が避難されていました。区の職員1人と、看護師2人、私たちボランティア2人という体制でした。14日の夜、一人のお年寄りが救急車で病院に搬送されました。食生活と運動不足が原因だろうと思われます。避難してこられたときから2か月経って、太ってこられた方も多いといいます。どうしても運動不足になるし、避難所での食事は、朝は総菜パンと野菜ジュース、昼はコンビニおにぎりと缶詰とみそ汁、もしくは、おにぎりとカップ麺と魚肉ソーセージ、夜は弁当か炊き出し。炊き出しといっても、おかず一品とご飯。お年寄りにとっては塩分やカロリーの摂り過ぎになりがちです。

段ボールで囲われただけのスペースで、様々な方が生活をしておられます。高校生は夜電気の消えた避難所で、ホワイトボードの裏に勉強するスペースを作ってもらっていました。避難所での生活が耐えられなくて危険と書かれた赤い紙が貼られた自宅へ帰られた方もいます。仮設住宅も近々完成しますが、申し込んでも抽選で入れるかどうか分かりません。まだまだ、先の見えない生活が続きます。

 

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