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5・15 沖縄平和行進 子どもたちのために安心、安全な空を

2018/06/20

写真 結団式には全国から約80人が参加。壇上の奥が沖縄戦の犠牲者の慰霊碑。

写真 当時は舗装されていない道を砲弾の降るなか、住民は逃げまどいました。

写真 ガマ(自然の洞窟)の入口。避難した地域の人々の思いを馳せつつ、教育の力の大切さを感じとりました。

米軍ヘリの部品が12月7日には宜野湾市内の保育園に、そして12月13日には普天間第二小学校に落下しました。米軍基地があるために、安心、安全であるはずの教育施設が常に危険にさらされていると改めて認識した事件でした。日本教職員組合は、沖縄の子ども、保護者、教職員の思いをうけとめながら、5月11~13日にかけて「5・15沖縄平和行進」が実施しました。

*結団式*
 沖縄平和行進は、結団式から始まります。全国から集まった初対面のなかまと行進の意義を確認し、交流の第一歩とするためです。冒頭、沖縄戦の犠牲者のために黙祷を捧げます。

*学習会* 
米軍ヘリ部品保育園落下事故について学習しました。被害に遭った園の関係者から話を伺い、安心・安全な空をあきらめないとりくみについて学びました。続けて、米軍機事故と日本の憲法・主権について学び、すべての教育・福祉施設の上空飛行禁止を求めるとりくみについて共有しました。沖縄では度々米軍機による事故が学校を巻き込んできました。宮森小学校ジェット機墜落事故(1959年)は、小学生11人を含む死者18人、重傷者200人以上、校舎や近隣民家が全焼など大惨事となりました。沖縄国際大学ヘリ墜落事故(2004年)では、米軍ヘリコプターが大学の建物に接触し、墜落、炎上しました。民間人には負傷者は出ませんでしたが、事故機を搬送するまで米軍が現場を閉鎖し、日本の警察や大学関係者も立ち入ることができませんでした。沖縄は敗戦後から27年間も米軍によって直接支配されました。1972年5月15日に沖縄が返還されたといっても、米軍基地は残り、日米安保体制に組み込まれていきました。「日米地位協定」は国内法よりも優先されています。

*平和行進* 
 南部戦跡コースを約200人のなかまと共に8時間にわたって17.4㎞を歩きました。沖縄戦で着の身着のままで逃げまどった人々に思いを馳せることができました。

*フィールドワーク*
 米軍基地がいかに市街地から近いか、米軍機が学校施設の上空を飛び交っているか、目の当たりにしました。その後、野戦病院や避難壕として使われたチビチリガマ、シムクガマを見学しました。ガマでは集団自決などもあり、戦後70年以上たった今も、そこには空間の記憶が残っています。

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