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さようなら原発 さようなら戦争 

2017/09/20

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9月18日、「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」が主催する「さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」が開催され、日本教職員組合からは200人が参加しました。
この集会で、福島県教組から参加した柴口正武さんが福島、浪江の様子を次のように報告しました。

《柴口さんの報告》
私は、昨年度から浪江中学校で働いています。
浪江中は現在、浪江町から約40キロ離れた二本松市で授業を行っています。震災当時398人だった浪江中の生徒数は、今年度は9人だけです。浪江町には浪江中の他に浪江東中、津島中もあり、震災当時町内にいた中学生は611人でした。それが9人になり、実に1.5%となりました。小学生についてはさらに深刻で、震災当時の浪江町内の小学生1,096人のうち、現在浪江町の小学校にいる子どもは5人だけです。0.5%という絶望的な人数です。浪江小も浪江中も、二本松市にとどまる限りは子どもたちの数は増える見込みはありません。浪江町は、次年度4月に「なみえ創生小・中学校」という名称の新しい小・中学校を開校します。しかし先日公表された通学についての意向調査によれば、その小・中学校に通学させるという回答は、検討中を含めても11世帯だけです。地元で学校が再開されることは、復興のきっかけとなることはもちろんです。復興のシンボル的に宣伝されるという批判もありますが、住民にとっては、かすかな光なのです。でも、そのかすかな光は、想像以上に小さいものでした。
そういう中、双葉郡内の小中高校では「ふるさと創造学」という活動を共通の柱に、「ふるさと」をキーワードにした総合学習などの学習を進めています。ある保護者からは、避難先にせっかくなじもうとしているのに「里心」を抱かせるようなことはしないでほしい、「戻る」ことがかなわないのに意味がないのではないか、という声が聞かれます。私たち教職員もそうしたジレンマを抱えています。しかし、ある保護者の方が次のようなことをおっしゃいました。
「ふるさとに戻らないと決めたが、子どもが本来のふるさとのことを学ぶ機会を学校がつくってくれるのはありがたいことだ。」
この言葉は、ふるさとをテーマに教育実践している私たちにとっては力強いエールとなっています。
浪江中では、その「ふるさと創造学」の一環で、9月8日に全校生徒9人と教職員とで浪江町に行きました。
今は住めなくても、浪江町内に子どもたちが立ち入り、自分の目で、耳で、体で、住んでいた、住むはずだった「ふるさと」の浪江町を感じることは、「ふるさと」に対する誇り、そこに住んでいた喜びを感じることにつながるし、避難先を新たな「ふるさと」として大事にしていこう、貢献していこうという思いを育てることにもつながっていくと思っています。
それとは別に、教職員組合双葉支部として、この災害を「なかったことにする」ことを絶対にさせないという思いで、原発震災に関わる教材「教材ふたば」の作成をしてきました。一つは、小学5年生の社会科の教材です。これは、原発事故を「公害」として位置付けた教材です。二つ目は「二つのふるさと」という道徳の資料です。高校入試にあたって避難先の高校を選ぶか、新しくできた双葉郡の高校を選ぶかで悩む中学生のことを題材にしたものです。三つ目は「高校に行けなくなったA君」です。せっかく高校に入学できたのに、同級生のちょっとした言葉で登校できなくなった子どもの話です。原発事故によって避難している子どもへのいじめについては報道されています。それとは別に、双葉郡の子ども、福島県の子どもには、悪意のない、場合によっては好意的とも思われる言葉によって心を傷つけられるというリスクを背負っています。この資料では「賠償金っていくらもらっているの?」という言葉がそうです。事前の教職員の話し合いでは、「どこ出身?」「どこ中学校出身?」という言葉も傷つける言葉になるという話も出ました。浪江中では、この資料を使って3.11に合わせて全校道徳という形で授業を行いました。そういうリスクを背負っても、それを乗り切る、またはやり過ごす、そうした力をつけてほしい、または心の準備をしておいてほしいという教職員全体の思いで行ったものです。
私たち双葉郡内の教職員は、これまで避難住民のために何か具体的な支援をすることは困難でした。でも、避難が続く子どもたちに寄り添った教育実践はしてきたという思いは強くあります。そして、多くの教職員が子どもたちと同じ避難者という境遇のもとで、教職員自身も子どもたちに支えられ、励まされてきたことも事実で、それが力にもなってきました。原発震災の現実を「なかったこと」などにはしないようにするために「教材ふたば」の取り組みや、子どもたちが「ふるさと」の思いに向き合えるような「ふるさと創造学」などの実践を続けていきたいと思います。そして、県外への発信も行い、おそらくもう会うこともかなわない県外に避難した教え子や、その他の子どもたちへのメッセージとして届けたいと願っています。
以上で私の被災地の学校現場からの訴えを終わります。ありがとうございました。

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