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公教育への社会的信頼を高めることを誓う
2007/08/29
公教育への社会的信頼を高めることを誓う
2007年8月29日
日本教職員組合は第95回定期大会を8月27〜29日の3日間、東京・社会文化会館で開催し、日本国憲法の理念の実現、子どもの権利条約の具現化をめざして、地域や学校で自主的・主体的な教育活動をすすめ、教職員組合の社会的責任を果していくことを確認しました。
森越委員長は結成60周年を迎えたことにふれ、「戦後日本の教育史は、日本教職員組合なくして語れないとも言われま
す。厳しい弾圧によって困難な闘いを強いられたこともあり、とりわけ戦前を懐かしむ人たちにとって、『教え子を再び戦場に送るな』のスローガンは棘のよう
に突き刺さったことでしょう。組織内に閉じこもらず、立場の異なる人たちとも臆せず話し合う度量を持ち、もっと打って出よう」と挨拶しました。
来賓として出席した高木連合会長は、「参議院で与野党逆転し、双方が知恵を出し合い政策の見直しをすること
も可能となったが、政権交代の一歩にしなければならない。教職員の勤務実態調査を文科省が40
年ぶりに実施したが、労働者の勤務実態把握をしていないことは民間では考えられず、管理者としての意識がないことに驚く」と述べ、安心・安全のレベルの高
い社会をつくる必要を訴えました。
神本みえ子参議院議員は、学校現場の仲間の力で再度国会に送ってもらったことに感謝を述べました。
大会は、(1)憲法理念の実現に向け、護憲・平和運動を継続・強化する、(2)ジェンダーの視点を共有化
し、平和・人権・環境教育、インクルーシブ教育の推進、(3)公教育の民営化などの課題について国際連帯を進める、(4)教育現場の課題に応える教育制
度・政策を求めていく、(5)義務教育費国庫負担制度の二分の一復元、定数改善・30人以下学級など教育予算の拡充、(6)労働基本権の早期確立ととも
に、透明で民主的な公務員制度改革の実現、(7)協力・協働による学校運営組織、教職員給与水準の維持・改善、(8)「ワーク・ライフ・バランス」の実現
に向け職場の労安体制を整備する、(9)「組合員意識調査」の分析、総括的議論を深め組織拡大・強化をはかる、(10)政権交代を可能とする政治勢力の結
集をはかることを決定しました。
日本教職員組合第95回定期大会 森越康雄中央執行委員長挨拶
とき 2007年8月27日
ところ 社会文化会館
まもなく9月とはいえ厳しい暑さが続く中、第95回定期大会に結集されました代議員ならびに傍聴者のみなさん、ご苦労さまです。そして高木連合会長をはじめお忙しい中おいでいただきましたご来賓のみなさまに、改めまして御礼申し上げます。この夏は記録的な暑さで、これまで山形県を訪問するたび話題にしていた山形市の40.8℃という国内最高記録も、74年ぶりに書き換えられました。高齢者などの熱中症による犠牲者も相次ぎ、地球温暖化というより灼熱化していることの恐怖を感じます。
熱い参議院選挙が、暑い夏をももたらしたのでしょうか。自民党惨敗と民主党圧勝の結果は、安倍総理が歌い文句にしている意味とは異なった、「戦後レジームからの脱却」を思わせるものでした。どんな悪政をしても政権が変えられないこの国への苛立ちに、私は二年前の日本教職員組合定期大会で次のような挨拶をしました。「いくら間違ったことをしてもお灸をすえない国民は、悪いことをしても叱らない親が、子どもをわがまま放題にしてしまうように、総理大臣から『反省』という人間としての大事な素養を忘れさせてしまったのです」と。この部分がマスコミにも取り上げられ、「日本教職員組合委員長ごときが時の首相を批判するとは」といった趣旨のお叱りを右翼と思われる方からいただきました。
昨年10月31日の産経新聞に、森元総理のインタビューが掲載されました。「日本教職員組合・自治労を壊滅できるかどうかということが次の参議院選の争点だろうね」その後も自民党からの日本教職員組合攻撃は激しくなるばかりで、ついに参議院選挙用に「これでもあなたは日本教職員組合に子どもをまかせられますか」というパンフレットまで出しました。私はあまりにも品格のないその内容にあきれ果てました。天下の自由民主党、相撲で言えば横綱にあたる大政党が、こんな下品なパンフレットで参議院選挙を戦おうとしているのか。その後も、「年金問題は当時の菅直人厚生大臣の責任であり、自治労のせいだ」などという主張を、安倍総理を先頭に繰り広げたのです。どこの会社に「今の経営不振は10年前の部長の責任で、労働組合のせいだ」という社長がいるでしょうか。
私は自民党の方ともお話させていただくことが時々あります。さすが戦後政治の大部分を担ってきた大政党だなと、立場の違いはあってもその見識には感服させられることもしばしばです。「何でも反対=野党」という批判をよく与党のみなさんはされますが、「何でも悪党=日本教職員組合」という貧困で偏った発想から、「教育再生」はできるのでしょうか。ちなみに海外とりわけヨーロッパでは、教職員組合は教育行政にとって大切なパートナーとして処遇されています。私は自己紹介のとき、「地味な組織=日本教職員組合です」と言います。日本教職員組合とはどこかのアジトにこもって過激な運動をしている組織ではなく、日々学校現場で子どもたちの笑顔を引き出したくて地道に奮闘している教職員の集まりなのです。
日本教職員組合に結集する全国のなかまと諸先輩、そして支援していただいた労働組合や各種団体、何よりも教育を心配する多くの国民のみなさまからのお力で、当初の目標には届かなかったという課題は残しながらも、日政連神本みえ子候補は第21回参議院選挙比例代表で見事に当選し、二期目の参議院議員としての活動のスタートにつくことができました。また兵庫選挙区では、日政連辻泰弘候補が100万票を超える圧倒的な強さで勝利することができました。そして戦後、本当の意味での初の政権交代が可能な政治情勢も生まれました。しかしこれからが本番です。多数による与党の強引な国会運営や、目に余るお友だち内閣の出鱈目さに愛想をつかした国民が、一時避難的に野党特に民主党を応援したのだという厳しい現実を直視しなければなりません。民主党はこの勝利に驕ることなく、野党を罵ることでしか自らをアピールできなかった与党の品のなさを反面教師として、国民が何に怒り何を政治に求めているのかを真剣に追求し、「国民の生活が第一」の断固たる態度を見せることです。ちなみに常日頃私は、「日本教職員組合は品で持っている」と宣伝しています。
先ごろ、雨宮処凛さんの著書、「生きさせろ!難民化する若者たち」を読みました。ロリータファッションというのだそうですがひらひらのスカートにエプロンといういでたちで、時々テレビにも登場する方です。『論座』(朝日新聞社発行)の7月号に、かつて信奉していた『戦争論』(小林よしのり著)との決別を寄稿していたので、興味を引かれていたところこの本に出会いました。ちなみに『論座』で小林さんは、「自己責任」論を批判し「教育基本法改正も、憲
法改正も、道徳教育も、トータルにわしは否定するよ」と言っています。雨宮さんの著書では、自身の踏み躙られ続けたフリーター時代の経験から始まり、企業の都合で使い捨てられ生命までをも奪われる若者が次々と登場します。社会への不満から一時右翼運動に身を投じた彼女は、日本国憲法前文を読んだことがきっかけとなり、左派系としての論陣を張るようになったとサイトには紹介されています。
一昨年の9月11日の総選挙で、希望を見出せず生活不安を抱えた多くの若者たちが、小泉純一郎総裁率いる自民党を圧倒的に支持し、衆議院の三分の二を超えるモンスター与党を誕生させました。自分から遠い存在の政府への怒りよりも、身近な公務員や大企業の正社員へのねたみがまさったのでしょう。抵抗勢力に敢然と立ち向かい「自民党をぶっ壊す」と絶叫する小泉首相の姿は、マスコミこぞっての演出によってほとんど神格化されたかのようでした。しかし小泉劇場のお祭りの後には、弱肉強食・格差拡大によって放り出された犠牲者が累々と横たわっているのでした。
格差拡大の批判の前で、彼は言い放ちました。「格差はどこにでもある。日本は少ないほうだ」「成功者をねたんだり、足を引っ張ってはいけない」と。それでもまだ多くの国民は、彼の「改革者」の幻影にすがり支持していたのです。改革者の跡継ぎは、「美しい国」を掲げて颯爽と登場しました。ついにヒーローが国のトップに躍り出た晴れがましさに、右翼勢力ははしゃぎました。しかしその「口先だけの美しさ」と裏腹な軽薄さと残酷さが暴露されるには、さ
ほど時間がかかりませんでした。「戦後レジームからの脱却」「憲法改正」「教育基本法改正」とは「民主主義・基本的人権・平和主義」否定の極めてイデオロギー的な主張であり、明日への不安が増すばかりの国民の生活実感とは乖離するだけでした。
郵政民営化だけが問われたはずの小泉選挙の結果を流用し、跡継ぎの安倍晋三内閣総理大臣は教育基本法を改悪し、日本国憲法の改悪まで視野に入れた国民投票法をも数の力で強行採決しました。今回の参議院選挙で与党の不利が伝えられる後半、一部のマスコミは「年金だけが争点にされるのはおかしい。教育・憲法を変えるために実績を上げてきた安倍内閣を評価すべきだ」と連日必死になって報道しました。また「与野党逆転は政治の混迷を引き起こすことを覚悟しなければならない」とも主張しました。世界ではごく当たり前の政権交代を、この国ではしてはならないとでも言うのでしょうか。そして今では、野党とりわけ民主党に「責任あるおとなの対応」を求めています。それでは再び聞きたい。あの9.11総選挙の争点はなんと報じ、その争点とは縁もゆかりもない法案をおざなりな答弁で押し切る強行採決ラッシュは、「責任あるおとなの対応」と言えるのかと。
誰が若者から生きること・働くことの誇りを奪い、格差社会の奈落の底へと沈めてきたのでしょう。努力しても短期雇用で首を切られ、住む場所も保証されず、もがけばもがくほどあり地獄のように底へと引きずりこまれていく怖さと絶望感に、多くの若者が追い込まれています。その若者がじわじわと高齢化し増え続け、この国が土台から崩されていく恐怖を雨宮さんは叫んでいるのです。そして「第六章 抵抗する人々」では、フリーターの強力な味方としての労働組合を紹介しています。
以前より民間労組の方から、「日本教職員組合は子どもたちに、労働基本権や労働組合のことをしっかり教えているのか」と追及されることがありました。職場に入って来る新人が、それらに関して全く無知だというのです。また労働者派遣法の相次ぐ改悪によって、労働基準法などどこ吹く風といった手配師もどきの派遣業者がますます横行しています。ピンハネや賃金不払い突然の首切りなどなど、明らかな違法行為つまり犯罪が野放しにされています。すぐにでも相談でき入れる労働組合があることも、二人以上で規約をつくって経営者に通告すれば簡単に労働組合をつくれることも知らされないまま、労働者はいいように働かされ使い捨てにされています。この無法状態は、私たち日本教職員組合や連合が黙っていられないことはもちろん、教育行政や地方自治体にとっても看過できない問題です。A4一枚程度にまとめた簡単な資料でも、十分な力になるはずです。若者が集まる場所での教宣活動や、学校での「だまされない労働者教育」を具体化するのが急務です。
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ことを子どもたちや国民に迫る人たちが、日本の伝統と文化を根こそぎ押し潰し、グローバルスタンダードならぬアメリカンスタンダードの市場原理主義一辺倒に染め上げようとしてきた事実。道徳を国民に説く大企業の経営者や与党政治家が、一片の社会的責任もひとかけらの国への愛もなく、ましてや働く人々や国民一人ひとりへの思いやりなど持ち合わせていないことを、もっと晴天白日の下に晒さなければならないのです。ちなみに彼らは、「法人税が高いと企業が海外に逃げていくから減税を」と、およそ愛国者らしからぬ主張をするのです。
今日どう生きていくか明日の生活をも見えない不安の中にいる国民を放ったらかしにしておいて、祖父の怨念か自民党結党以来の悲願なのかは知らないが、「戦後レジームからの脱却」「美しい国へ」など空虚な言葉を羅列し、「米国からの押し付け憲法を改正する」と見得を切りながら、先代から申し送りで米国のブッシュ政権にはただ這い蹲るだけの安倍首相に、国民の怒りは爆発したのです。「掛け金をかけ続けてきた年金をどうしてくれる」「格差をどうにかしろ」「あんたの右翼趣味に付き合っている暇はない」と。リーダーに必要な資質は、適確な判断力と断固たる決断力ではないでしょうか。安倍首相にはそのどちらも欠如していることが、繰り返しうんざりするほど暴露されたのです。そして彼は「自己責任」も取らずに続投すると言うのです。
その「自己責任」という言葉が、権力側の得意文句になっています。「生活が苦しいのも自己責任」「イラクにボランティアで行って囚われたのも自己責任」などで、比較的新しいのは「過労死も自己責任」というのです。この「自己責任」論は「規制緩和」と一体となり、弱い者は放ったらかしで強い者だけがやりたい放題の、無法地帯=ならず者国家をつくりあげました。「小さな政府」とは、国民の安心・安全を保証する医療・福祉・教育などをサボる政府のことであり、究極の「自己責任押し付け国家」であります。
安倍首相は、お得意のなかよし学者だけを集めた委員会で、改憲なしに集団的自衛権の行使ができるように検討を進めています。要するに「同盟国」である米国の戦争にとことん付き合うというものです。日本は憲法9条があったからこそ、当事者である米国が未だもって後遺症を引きずっているベトナム戦争にも参戦しなかったのです。米国はその他世界各地で戦争を展開し続け、現在もアフガニスタンやイラクを戦場にしています。彼らにとっては決してそれは侵略ではなく、「自衛のための戦争」なのです。評論家の桜井よし子さんがいつぞやテレビに出演した際、自身の憲法論を展開した著書で「侵略戦争はしません」と明記していますと自信たっぷりに話していました。「それでは日中戦争は?」と質問され、「あれは侵略戦争とはいえない」という趣旨で答えたのを聞いて、私はびっくりしたのです。あれが侵略戦争でなかったら、侵略戦争は世界に存在しないことになり、すべてが自衛戦争だと正当化されるでしょう。
かように戦争は当事国にとって常に「正義の戦争」「大儀ある戦争」であって、「攻撃は最大の防御」「やられる前に乗り込んでやっつける」という「自衛のための戦争」であります。伊藤真さんはその著書『憲法の力』(集英社新書)で次のように述べています。
「私はどのような理由があっても戦争には反対です。それはどんな理由をつけても戦争は人殺しだからです。日本が戦争をするとなると、私たち国民が、税金で人殺しに加担することになるからです」「現在日本は、直接手を染めていませんが、米軍を支援することを通じて間接的に戦争、つまり人殺しに加担しています」「皆さんがお昼、コンビニで買ったお弁当の消費税も人殺しに使われているのです」
もし事故や犯罪で同様の死者が続出したなら世界的な大パニックになるであろうことが、イラクでは毎日のように繰り返されている、その異常さに慣れさせられることが戦争です。日本軍がかつて訓練と称して日常茶飯事兵隊に陰湿な鉄拳制裁を加え続けたのは、暴力に鈍感になり人殺しにも抵抗感を無くさせるためだっといわれています。
先日盛岡に帰る新幹線の中で、備え付けのJR東日本の雑誌を手にとって見ると、今年2月の大分での全国教研で講演していただいたC.W.二コルさんの記事がありました。「日本をもう一度、こどもの天国に」と題し、次のように書かれています。
「45年前、私が初めて来日したころ、日本はこどもの天国でした。こどもたちはごく普通に里山や川で遊んでいました。そんなこどもの姿を見なくなってしまったときに私は、故郷ウェールズの森で、森の要素を使って国語も数学も歴史も生物も教える教育方法を知りました。どの教科も教室よりずっと効果的。こどもが2週間でガラリと変わるのをこの目で見たのです」
点取り競争に追い立てられ、自然に親しむことも友とのふれあいもどんどん削られていく中で、子どもたちを当たり前に育ててきた教育力が急速に衰退しています。「こどもの天国」を崩壊させたのは誰か。「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」は、利潤最優先、地方切捨ての政治・経済の前に荒廃させられ、絶滅種は跡を絶たず、人々の心も荒み凶悪犯罪はひっきりなしで、子どもたちに「人を見たら犯罪者だと思え」と教えなければならない悲しい国にされてしまいました。
全国教研では、やはりウェールズ出身のリチャード・ドーエティ=ウェールズ大学名誉教授に、イギリスにおける学力テスト競争の弊害について講演していただきました。サッチャー改革によってもたらされた競争原理による教育行政が、どれだけ子どもたちの心を蝕み教職員の尊厳を傷つけてきたかの報告は参加者に大きな衝撃を与えました。ウェールズをはじめとして学力テストは廃止され、残ったイングランドでも廃止が検討されているという事実は、サッチャー教育改革を絶賛する安倍内閣の教育観を打破するのに十分な内容でした。
改革と称して「規制緩和」が相次ぎました。まるで規制を解かれた暴力団のように、力の強いものだけが勝ち残る「仁義なき戦い」が繰り広げられています。「金儲けのためには手段を選ぶな」「競争に勝て、他人の弱みに付け込め」「強い者が勝ち残るのは世間の常識」「人間は使い捨ててもお金はケチれ」などなど、市場原理・競争主義がこの国には蔓延しています。資本主義の暴力性を野放しにしないための知恵として、最低限のルールである「規制」がつくられました。また権力は常に横暴になるから、国民の自由を守るために権力を縛ることを目的に憲法がつくられました。それが立憲主義です。前出の伊藤真さんは、改憲派ではないがある意味護憲派でもなく、立憲派だと自認しています。
この国は思うようにいかないことだらけです。しかし私たちが思うことを止めてしまったら、理想をあきらめてしまったら、思いもしない思いたくもない国へと急転落するのは目に見えています。教育基本法が改悪され、教育関連三法案が強行採決されました。教員免許更新制という、世界に例を見ない悪法もいよいよ具体化に向けて動き出します。しかしその内容は漠としており、現場に下ろされるときの大混乱が予想されます。教育改革と称して、また「教育再生」などという世迷い言が跋扈してきたことに対して、これまで一顧だにされてこなかった子どもたちの願いや教職員の思いを基に、堂々と論陣を張るときが到来しました。
どんなに深刻で厳しい追及にも、多数の暴力で無視しおざなりな答弁で時間が来れば審議打ち切り→強行採決といった手法が通用しない国会=参議院の状況が作られました。私たちは追及のための追及を求めているのではありません。真摯な論議を求めているのです。子どもたちが、どんなときに目を輝かせるかを語ってほしいのです。そして教職員が誇りを持てる働き方を知ってもらいたいのです。そのために教育行政ができること、政治が経済界が担うべき役割を議論して欲しいのです。おとなの都合による学力競争に子どもたちを追い込むのではなく、どの子にも学ぶ喜びと希望を保障したいのです。働くことの努力が報われないどころか生きることにさえ絶望してしまう若者を非難するのではなく、誇りを持って働き続けられ生きることの希望をかなえられる場を若者に確保しようではありませんか。古来より「衣食足りて礼節を知る」と言われるように、誰もが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法第25条)ことを実現するため力をあわせたいのです。だからこそ「自分の欲望のために他人を犠牲にすること」はやめさせましょう。そしてなによりも、人を殺す・殺されることが正当化される戦争は、どんなことがあっても認めないことを確認しあいましょう。また、儲けのためには何をしてもいいという強い者だけの世界を蔓延させた市場原理主義にノーを突きつけ、あらゆる生命との共存を持続させる地球環境を維持するため、共生を求める全世界の人々との連帯を強化しましょう。
日本教職員組合は、6月8日結成60周年を迎えました。戦後日本の教育史は、日本教職員組合なくして語れないとも言われます。厳しい弾圧によって困難な闘いを強いられたこともあり、とりわけ戦前を懐かしむ人たちにとって、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンは棘のように突き刺さったことでしょう。それでも私たちには、子どもたちの幸せを願い手をつなぐ多くのなかまがいました。さらに輪を広げましょう。組織内に閉じこもらず、立場の異なる人たちとも臆せず話し合う度量を持ち、もっともっと打って出ましょう。私たち一人ひとりの力で圧倒的に今定期大会を成功させ、より大きく強く広がりのある日本教職員組合を築き上げようではありませんか。
高校歴史教科書検定における「沖縄戦『集団自決』に関する記載内容への検定意見」の撤回と、史実にもとづく記述を求める特別決議
2008年度から使用される高校歴史教科書の日本史教科書検定において、沖縄戦における「集団自決」に日本軍が関与したとする記述に検定意見がつけられ、5社7点の教科書すべてから日本軍の直接的な関与に関する記述が修正・削除された。
沖縄戦における「集団自決」への日本軍の関与は、日本軍の住民虐殺と併せて戦争体験者からの聞き取り調査や沖縄戦研究ですでに明らかになっている。
この検定結果は、沖縄戦の実相を歪めるものであり、歴史を歪曲するものである。また、悲惨な体験をし、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた沖縄の人々の思いを踏みにじるものであり、断じて容認できるものではない。
沖縄県内では「沖縄戦の実相を歪めるもので、許し難い」との反発が広がり、沖縄県知事が遺憾の意を表明し、県議会を含むすべての市町村議会からも検定意見撤回の意見書が採択された。県議会においては検定意見撤回の意見書を同一会期内に再決議するという前例のない事態も生じている。
6月9日の沖縄県民大会には全国から結集し、平和フォーラムとともにとりくんでいる「高校歴史教科書検定での沖縄戦『集団自決』に関する記載内容への検定意見撤回を求める要請署名」も、40万筆に達している。
文科省は、記述修正・削除の主な理由として、大阪地裁への「集団自決」訴訟の提起を根拠にしているが、現在も係争中であり、文科省自らが定めた検定基準「未確定な時事的事象について断定的な記述をしているところはないこと」に矛盾している。しかも、この裁判は一個人の名誉毀損の訴訟であり、その主張が沖縄戦の全体像を表しているとは言えない。
日本教職員組合は、一人ひとりの子どもたちが平和な未来に向かって歩むために、アジアをはじめ、世界の平和と安定、共生の社会を実現する主権者を育むことが重要であり、歴史教育は史実と真実にもとづくものでなければならないと捉える。そのためには、教科書に歴史の事実を記述することが不可欠である。
私たちは、文科省の「沖縄戦『集団自決』に関する記載内容への検定意見」の撤回と、史実にもとづく記述を強く求めるとともに、戦争を肯定・美化する動きに抗し、「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンのもと、平和・人権・環境・共生の教育実践にとりくんでいく。
以上、決議する。
2007年8月29日
日本教職員組合第95回定期大会
民主的な公務員制度改革とILO勧告を満たした労使関係制度の確立をめざす特別決議
政府・与党は、第166回通常国会において、天下り・再就職規制と能力・実績主義にもとづく人事管理を中心とする国家公務員法改正案を委員会審議未了のまま参議院本会議で強行採決によって可決・成立させた。国家公務員法は、予定されていた参議院選挙日程を変更して国会会期を延長するという異例の政治情勢の下で成立し、終始選挙戦術に利用された。「採用試験制度、現行キャリアシステムをどうするのか」等の本質的課題の解決がいずれも不明確なまま先送りされ、公務における労使関係制度改革等の基本的方針が法律上明示されなかったことは極めて問題であり、厳しく批判する。
臨時国会以降、国家公務員法改正に伴い地方公務員法改正案、教育公務員特例法改正案、地教行法改正案が審議される見込みである。日本教職員組合は、連合・公務労
協と連携し、(1)求められる公務員制度改革の全体像を明らかにすること、(2)労働基本権を軸とした労使関係制度の抜本改革の推進、(3)評価制度の設計・活用に関して労使協議制度を確立することなどの政府答弁等を引き出すことを第一目標としてとりくむ。
さらに、次期通常国会に提出される公務員制度改革基本法案の方向性を定める「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」や「公務員の労働基本権のあり方などを検討する専門調査会」における答申に労働側代表の意見が反映されるよう全力でとりむ。
透明で民主的な公務員制度改革とILO勧告を満たした労使関係制度の確立に向けた大きな転換期にあたる。日本教職員組合は、連合・公務労協とともに全力をあげてとりくみをすすめる。
以上、決議する。
2007年8月29日
日本教職員組合第95回定期大会