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みんながハッピーな学校を~LGBTについて学ぶ~

2017/12/26

写真 田中 洋美さん 明治大学情報コミュニケーション学部准教授 同ジェンダーセンター副センター長                    松岡 宗嗣さん  明治大学4年生 MEIJI  ALLY WEEK代表 タイトルデザインは松岡さん提供  

クラスに1人はいるといわれている性的マイノリティーの子ども。教職員として、その知識をもつことは、今やマストです。当事者である松岡宗嗣さん、社会学やジェンダーを専門とする明治大学の田中洋美さんへのインタビューをお届けします。

ALLYを増やして誰もが安心できるキャンパスに

松岡 田中先生が所属している情報コミュニケーション学部に設置されているジェンダーセンターが著名なジェンダー研究者のレイウィン・コンネル教授の講演会を実施するときに、自分が参加していたLGBTの学生サークルにポスター制作をしないか、と呼びかけてもらったのが、田中先生と知り合ったきっかけです。先生からジェンダーやセクシュアリティに関するお話を伺って、すごく面白いなと思ったのを覚えています。

田中 そうですね。そのあと、ゲイコミュニティのアプリの話になって、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で表象される「男性性」について調べて、コンネル先生の前で発表してみたら、と声をかけたんですよね。

松岡 翌年には、それをタイの学会で発表しました。それから、先生のジェンダー論の授業でゲストでお話させてもらったんです。そのときに「ALLY(アライ)」という言葉を使ってみたら、参加者から「ALLYになりたい」、「ALLYっていい言葉ですね」という反応が返ってきて、大学からもっとLGBTに対する理解を広げる何かをやってみたいなと思うようになりました。

田中 これまでに様々なイベントを企画してきましたが、研究会やシンポジウムだけではなく、若い人たちが肩ひじ張らずに楽しく参加でき、当事者の学生に「ここにいていいんだよ」と語りかけるようなイベントもしてみたいと考えていました。学生主体で開催したいとも思っていたので、松岡さんに何かいいアイディアはないか聞いたんです。

松岡 海外の大学ではALLY WEEKというイベントを既に実施しているところがあることを知り、それを取り入れることはできないか検討しました。異なる文化、集団がそれぞれの抑圧について知り、学びあう機会をもつことで、自らのステレオタイプや偏見を敢えて確認し、違いを超えて交流する、という趣旨です。明治大学では、ファッションショーを盛り込んだALLY WEEKにしました。

田中 明治大学では2015年に初めて開催しましたが、愛知教育大学、早稲田大学でも実施されたようです。また様々な新聞やWEBメディアにも取り上げてもらいました。ただ、うちの大学でもまだまだ課題はあります。「誰でも入れるトイレ」は不足していますし、性的マイノリティの学生が心から安心できるキャンパスになっているとは言えない面がまだあります。

松岡 LGBTに関する理解は徐々に広がってきてはいますが、まだまだ大学ではカミングアウトできないな、と思う当事者が多いと思います。

 

子どもたちに知識を伝える職業である意味

田中 授業でジェンダーに関することを知って救われた、と言う学生が実際にいるんですね。ただ知識を伝える時には、「今はこうなっている」、という言い方をします。LGBTという言葉についても、あくまで便宜上、戦略上の表現であり、「今のところ他にもこういうカテゴリーがあるよ」と4つの文字が直接指し示すカテゴリーに入らないものも説明しています。セクシュアル・マイノリティの問題は、近代精神医学などの発展の過程で「病気」と決めつけられてきました。今の時代から見たら間違いであることをあたかも真実であるかのように伝えてきた、という過去があります。ですので、あくまで現時点ではAはBである、というように話さないといけないこともあると思います。

松岡 自分はゲイというセクシュアリティです。そのことに気づき始めた小学校高学年の頃から、「自分は何者なのか」という疑問にぶつかるようになりました。テレビで活躍するオネエと呼ばれる人たちとは何か少し違う気がして、自分なりにインターネットで調べたら「ゲイ」という名前を知りました。また「自分ひとりじゃないんだ」ということがわかったときは、少しほっとした記憶があります。ただ、同時に「このことは誰にも言ってはいけないことだ」「将来結婚はできないし、子どもも持てないんだろうな」と漠然とした不安感がありました。中学生時代は、悩みながらも笑いにして、折り合いをつけていました。カミングアウトしたのは、高校を卒業してからのことです。

田中 多くの当事者は、自分は普通ではないかもしれないと悩んでしまうのでしょうね。教職員は、知らないだけでマイノリティの学生がいるかもしれないということを前提に話をすべきかもしれません。例えば、選挙の話をする時に、外国籍であるなどして選挙権のない子どもがいるかもしれない、ということを考えて話すかどうかで、実際にそのような背景を持つ子どもがいた場合の当事者の受け取り方はだいぶ違ってくるのではないでしょうか。セクシュアリティについても同じで、恋愛や結婚の話をする時に、同性を好きになる子どももいるかもしれない、性別関係なく恋愛感情を抱いたり、あるいはだれに対しても恋愛感情を抱かない子どももいるかもしれないということを踏まえて話すかどうか、ということです。そのためには、教職員がマイノリティに対する知識を持っていることが大事です。

松岡 子どもの頃に適切な情報を得ることができたらよかったな、と思います。例えば、先生が「異性を好きになる人もいれば、同性を好きになる人もいるんだよ」とフラットに語ってくれたら、不安に思うこともなかったかもしれません。多くの当事者は孤独を感じざるを得ないので、正しい知識やひとりじゃないということがセクシュアリティに気づく前から知ることができたら良いなと思います。

田中 この領域は、この数年で大きな転換がありました。私が学生としてジェンダーやセクシュアリティについて学んでいた当時の知識はいかに狭かったか、と痛感しています。知を伝える職業に就く者として、教職員は、例えば研修などで新しい知識を得る機会をもったり、これまで当然だと思ってきた自らの知をクリティカルに点検する作業をすることが大切なのではないかと思います。セクシュアリティに関しては、例えば同性愛についての認識は大きくかわってきています。19~20世紀に病理化され、「異常」や「逸脱」と見なされ、国によっては犯罪化されたほどですが、20世紀後半から現在にかけて、そのような認識は大きく変化してきました。

松岡 普通みんなはこうでしょ、と言っている人にはカミングアウトしにくいと思うんですよね。ですから、先生には、いろんな「あたりまえ」を決めつけないで欲しいなと思います。とくに笑いが起きている時です。自分の経験ですが、「あいつホモ、キモイ」と笑われている時、先生も一緒になって笑っていることもありました。無批判な笑いの中で誰かが傷ついていることもあると、ちょっとでも思ってもらえれば…。保健の教科書に「思春期では、自然と異性に関心をもつようになる」という趣旨の記載がありますが、それが正しいと決めつけずに生徒に教えてもらえたらな、と思います。

 

みんながハッピーな学校に

田中 セクシュアル・マイノリティの人たちは見えにくい存在です。ただ、10人子どもがいたら1人は当事者がいるかもしれない、という意識を持って接する、もしわからないのであれば価値判断を一度やめる、という姿勢が必要なのかな、と思います。

松岡 設備や制服をどう対応するか、という問題もあります。答えはなく、基本的には、当事者である子どもにどうしたいかを聞いてほしいです。例えばトランスジェンダーの子どもがいるとして、トイレは望む性別のものを使いたいか、男女共用のトイレ、または他の人にわからないように職員用のトイレを使いたいか。求めているもの、必要としているものを聞いてほしいです。

田中 これは、生徒がセクシュアル・マイノリティかどうか、ということではなく、そうでない子どもにとっても同じことが言えると思います。すべての子どもへの対応として、同じことが言えるかな、と。学校は、ともすれば、管理が前面に出てきてしまいがちかもしれませんが、一人ひとりが何を考え、望んでいるのか、それぞれの好みやアイデンティティに寄り添って聞いてあげる、ということでしょう。

松岡 例えば、制服を変えることもそうですが、今はまだ声を上げられる人しか現状を変えることができないのかなと思います。

田中 ある程度、柔軟に対応するということなのでしょうね。制服はとくにそうです。どういう事情からかはわかりませんが、近年、女子の制服にパンツスタイルを導入する学校があります。トランスジェンダーの当事者が出てきたときに例外を認めるということもあるでしょうし、特別扱いすることでその生徒さんが浮いてしまうのを避けるために制服のバリエーションを増やすという方法もあるでしょう。
それから、教科書など使用する教材に十分な説明がないこともあるかもしれませんが、そのときに、ここにはこう書いてあるけれども、これ以外にもこういうこともありますよ、という形で教員が補足できるかどうか。それによって当事者の子どもが学校や教員に抱く信頼が変わってくるでしょう。

松岡 カミングアウトされたらどうしたらいいんですか、と学校の先生からよく聞かれます。まずは、「ありがとう」と肯定的に受けとめてあげてください。近い存在であればあるほど、とても勇気のいる行為なんです。そして、ただ先生に知ってほしいだけなのか、それとも何かを変えたいのか、その子なりのニーズを聞いてあげてください。また、アウティングという問題も非常に重要です。勝手にその子のセクシュアリティを暴露してしまうことは居場所を奪ってしまうことにつながります。誰にまですでに伝えていて、どこまで伝えていいのか、確認することが大切です。例えば、確認せずに先生が生徒の家族にアウティングをしてしまった場合、その生徒から家庭での居場所を奪ってしまうことにつながるおそれがあります。

田中 日本でもある大学の学生がアウティングの問題で亡くなられたことがありました。もし、加害者といわれている学生がそのようなことを知っていたら、亡くなることはなかったかもしれません。そういう意味でも、学校という場で子どもに接する教職員の影響力は絶大だと思います。子どもが、今、そして将来、周りの人々に対してどういう風に振る舞うか。そこにかかわる教員のひとりとして私もとても慎重でなければならないと思っています。

松岡 自分が中学生の時は、隠すのも嫌だったけれども、友だち関係をなくしてしまうと心配してオープンにもできない、という感じでした。2、3年生の担任の先生は、自分が他の男子とスキンシップをしていると、「男同士なのに」とは言わず、ただ「仲が良いね~」と肯定してくれたんです。ありのままに「いいんだよ」と受けとめてくれると、当事者は安心できるのではと思います。

田中 この数年、「セクシュアル・マイノリティの友だちが身近にいる」という学生が多いんです。友人たちには相談できていた、ということですよね。私も含め、教員としては、何かあったら相談にきてもいいよ、という雰囲気を醸し出しておくことも大切ですね。これは、性的指向だけではなく、いじめなど子どもの悩み全般に当てはまることですので、教職員の皆さんは、新しい情報や知識をインプットしつつも、これまでのご経験で培ってこられたスキルを活用していけば、対応していけると思います。

 

学校だけでなく、教職員や保護者も

田中 大学でALLY WEEKや講演会などのイベントを開催するにあたっては、教員だけでなく職員さんも関わってくれます。ALLY WEEKについては、メディアの報道からとりくみのことを知った高校生からも問い合わせが複数ありました。何か行事をすると広がりますよね。そのようなとりくみを、無理のない範囲でやってみることも意味があることだと思います。

松岡 教員になった当事者から、「学校はカミングアウトする雰囲気ではない」、「子どもたちにカミングアウトすることを管理職から止められた」と聞きました。職員室で多様性を認めていないのに、子どもたちに認められるのかな、と思ってしまいます。子どもには多様性を、と伝えているその隣に、LGBTの同僚がいるかもしれませんよね…。

田中 教育組織に身を置く者としては痛い指摘です(苦笑)。いろいろな企業がダイバーシティ推進のとりくみをするようになっていますが、学校という組織自体に多様性への配慮があってこそ、多様性について学ぶ教育も真に実践できるのではないでしょうか。

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